« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月

2012年2月29日 (水)

使命と魂のリミット

 東野圭吾『使命と魂のリミット』(角川文庫)を読みました。研修医の女の子の話です。天皇陛下が心臓手術をしたというタイミングに合わせたというわけではないですが,心臓外科の話です。天皇は狭心症という報道でしたが,こちらは大動脈瘤の話です。医学のことはよくわかりませんが,心臓手術の詳細なシーンが出てきます。大変な手術です。私もいつかお世話になるのでしょうか。
 研修医の夕紀は,自分の父親が,その手術中に死亡してしまうのですが,夕紀は,執刀した西園医師が父親を殺したのではないかという疑念を抱きます。名医とされる西園医師がなぜ父を助けられなかったのか。しかも,西園は,その後,自分の母親と親しくし,再婚するとということになり,その疑念がふくらんできます。さらに,かつて警察官であった父が,その捜査過程で,ある少年を死に追いやっており,その少年が,西園の息子であったということを知り,ますます疑念がふくらみます。西園は父に報復したのではないか。父は,ほんとうに殺されたのか。
 その後,夕紀は研修医となり,西園の下で研修を積みます。そして,いよいよ,西園が担当する,ある大物財界人の島原の手術に立ち会うことになります。夕紀はしっかりと,西園の仕事ぶりを見極めようと考えています。しかし,事は単純には進みません。西園たちの病院が,ある脅迫事件に巻き込まれるのです。医療ミスを公表しなければ,病院を破壊する,という脅迫です。病院は隠された医療ミスなどないという立場です。西園は,何も隠していないのか。夕紀は,ますます疑念を深めます。しかし,脅迫の動機は何か。
 島原の手術中に停電が起こります。西園の必死の手術姿を見ながら,夕紀は真相を知ります。この脅迫は何だったのか。西園は夕紀の父を殺したのか。読んでのお楽しみです。
 ほろっとするような最後は,やっぱりうまいですね。なんとなく,さわやかな読後感でした。でも,研修医って大変な仕事なんですね。 ☆☆☆☆

|

2012年2月28日 (火)

法と経済で読みとく雇用の世界

今日,本の実物をいち早く手にすることができました。完成した本を見るのは,何回経験してもよいものです。生まれてきた我が子を手にしたような新鮮な喜びです。この子が,どういうように育っていくのだろうか,という楽しみもあり,不安もあります。
私としては,二人での共著というのは久しぶりであり,今回も良いパートナーに恵まれて,自分としては満足のいく仕事ができたと思っています。本は大きさや紙質いずれも読みやすいもので,また価格も1900円と比較的,入手しやすいものとなっています。装丁も,私のこれまでの本にはなかったようなシンプルなもので,たいへん気に入っています。有斐閣も,力を入れて宣伝してくれるそうなので,多くの人に読んでもらえたらと思います。すでに,このブログでは内容などについては紹介しているので,ここでは個人的な感慨だけを伝えておきたいと思います。

|

2012年2月27日 (月)

労働への意欲

 イタリアに行っていたときに,終身雇用や年功型賃金といった雇用や賃金の安定が,日本の労働者(正社員:dipendenti regolari)の勤労意欲を高めているという説明をしてきました。以前からやっているあまりにもステレオタイプな説明なのですが,日本の労働者が仕事好きという理由でよく働くのではなくて,制度的な要因で働くのだということを特に強調するためにそう説明しているのです。しかし,これについては,安定したら働かないでしょ,というイタリア人からの当然の質問が来ます。そこで,賞与の額とか出世競争でインセンティブを与えているんだと説明するわけです。内部昇進システムというのが,日本の制度にとって重要ということです。イタリアでは,こういうものがないというので,なかなか労働への意欲が高まらないということで,彼らは一応は納得するわけです。ほんとうは,これだけでは説明がつかないのでしょうが,少なくとも言えるのは,日本というのは長期的な信用をベースにした社会という特徴を備えている点です。よく考えると,労働法だけを見ると,日伊ではあまり違いがないのですが,雇用システムとなると,それはそれは違うところだらけです。このことは,法と実態との関係を考えるうえで興味深い点です。どうしてかくも違う雇用システムなのに,それを規律する法制度は似たようなものとなるのでしょうか(もちろん違うところもあるのですが)。まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。
 いずれにせよ,一般の労働者が,労働への意欲をなかなか持ちにくいというのは,労働を避けることができない以上,ある意味では不幸なことかと思いますが,日本も徐々にそういう社会になっていくのかもしれません。今度,一橋大学の守島基博先生に会って,人事管理のことを教わることになっているので,それをきっかけに人はどうしたら意欲的に働くようになるのか,ということについて,もっと深く考えてみることにします。

|

2012年2月26日 (日)

ブックカバー

 日本では本を買うと,ブックカバーをつけるかどうかを聞かれますよね。ブックカバーは本を守るというよりも,電車などで何を読んでいるかを他人に知られたくないということかもしれません。エコのためにマイ・ブックカバーを持ち歩いている人もいますね。しかし,イタリアで本を買うと,ブックカバーなどはありえません。というか本だけでなく,何を買っても包装するということはありません。プレゼント用と言って初めて包装してくれます。
 どうして自分が読んでいる本を隠したいのでしょうか。読んでいる本の種類を知られるというのは,自分の趣味趣向が知られるからイヤなのでしょうかね。私がブックカバーを付けるとしたら,エロい本くらいでしょうが,そんな本は人前では読まないので,やっぱりブックカバーは不要ですね。私の書いた新書も,ブックカバーを付けて読まれているのかもしれません。どこかで書かれていましたが,上司に労働法の本など読んでいることなどを知られたら,良くない印象を与えるからでしょう。私たちは,自分の読みたい本を堂々と人前で読めない国にいるのかもしれません。ひょっとしたら思想統制などがあった戦前の名残でしょうか。でも,これはもっと単純にプライバシーの問題なのかもしれません。いや,もっと単純に,たとえば電車で隣に座っている女性がどんな本を読んでいるか,ちらりと見ようものなら,胸の谷間を見たかのように,きつい視線を送られてしまうでしょうから,要するにイケないことなのでしょうね。男性的には,前や横に座った美しい女性がどんな本を読んでいるか,とても知りたいのですが,そんなことを思うのはスケベオヤジということでしょう。

|

2012年2月25日 (土)

第71回神戸労働法研究会のご案内

  3月3日に,神戸大学で,私が,今回のイタリアの解雇法制のことを,日本法との比較法的な観点から報告します。神戸労働法研究会と神戸大学の法経連携プロジェクトとの共催です。神戸労働法研究会はクローズドの研究会ですが,今回は神戸大学のプロジェクトとの共催ということもあり,一般の人も来れます。もしイタリアのことにご関心があれば,お越しください。
 私がイタリアのことを報告するのは,かなり久しぶりのような気がします。昔は,イタリア近現代史研究会で2回ほど,またイタリア研究会で2回ほど報告したことがあります。公開した研究会では,たぶん初めてではないかと思います。
 もう一人の報告者は,イタリアのヴェネツィア大学から日本法の勉強に来られている,Fabiana Marinaro さんです。彼女は,非正規雇用問題,特に仮装自営業者の問題についての報告をしてくれます。使用言語は日本語です(質疑応答などでイタリア語が使われる場合も,私かMarinaro さんが通訳をします)。なお,場所は,神戸大学六甲台キャンパスの第2学舎の102号室です。当日は土曜日なので,部外者は建物内には入れませんが,研究会のメンバーと神戸大の関係者以外の方で参加希望の方は,事前に担当の田中さんにお問い合わせください(078-803-6847)。

|

2012年2月24日 (金)

労働紛争処理法

 山川隆一先生から『労働紛争処理法』(弘文堂)をいただきました。どうもありがとうございました。これまでになかったようなタイプの労働法の本です。紛争処理という観点から,労働法を見るというもので,特に実務家にとって,もう少し理論的なことも学びたいと思われる方には最適だと思います。第3部の要件事実論のところは,裁判官や弁護士以外の方には難しいところでしょう(私にも難しいです)が,筆者は,教科書(『雇用関係法』新世社)でも要件事実論に言及する,おそらく唯一の労働法学者であり,この面での筆者の研究成果がまとめられたという面もあります。
 この第3部で,個人的な関心から私の印象に残ったところの一つは懲戒のところです。このブログでも,最近の東京地裁の判決で,懲戒事由と懲戒権の濫用のところがごちゃごちゃになっていておかしいのでは,という趣旨のことを書いたと思いますが,この本でも,懲戒事由該当性と懲戒権濫用性の判断の区別を綺麗に整理されています。要件事実という観点からは,事由該当性は抗弁で,権利濫用を根拠づける事実は再抗弁となるわけです(273頁)。ただし,権利濫用論の解釈については,労契法15条における客観的合理性と社会的相当性とを区別する解釈を提示されており,そこは,私にはちょっと賛成できないところではあります。
 もう一つは,安全配慮義務のところです。債務不履行構成においては,義務内容については労働者に主張立証責任があり,帰責事由の不存在を根拠づける事実については,使用者が抗弁として主張立証責任を負うわけですが,この使用者からの抗弁において一定の措置をとったことが認められたという判例を援用し,山川先生は,その判例の趣旨を敷衍すれば,使用者が一定の措置をとらなかったことが,義務違反という請求原因の内容と解する必要がない事案もありうるのではとされ,事案によっては,安全配慮義務を抽象化し,労働者が主張立証しなければならないものは,その抽象化された義務でよく,義務違反という結果を回避するために相当な措置をとることについて使用者が抗弁として主張立証責任を負うと解すことが可能と書かれていました(290-291頁)。結果債務と紙一重のような感じもしますが,安全配慮義務違反の手段債務としての性格を維持しながら,立証の負担を適切に考慮した解釈を提示したのではないかと思います。
 このほかに,第1部のところで書かれていた労働紛争の適切な解決のためのスキルについても,なるほどと思いました(9頁以下)。要するに,労働紛争の特質をよく理解し,しっかりした法的知識をもって,それを適用し,さらにコミュニケーション・スキルを磨き,解決案の策定スキルも磨くということです。労働委員会では,最後の解決案の策定スキルは,労使の委員の方の意見が参考になることが多いです。法的知識については,これはほんとうに大きな課題で,労働法の専門家でも難しいような理論的な問題を労働委員会でも扱わなければならないのですが,そうは言っても,労働紛争解決(特に個別紛争解決)のためには,やはり労働法の深い理解は不可欠で,これまでは労働法などなくてもやってこれたという労働組合や人事部関係の方も,今日では労働法の知識なしで公的な紛争解決の役割に携わることは難しいと思います。最近では,研修のようなものが盛んであり,この点の問題も徐々に解消していくと期待しています。
 もう一つのコミュニケーション・スキルは,怒られるかもしれませんが,私は「ラブ理論」の応用とよく言っているもので,要するに相手が何を求めているかをしっかり聴くということの大切さです。山川先生は,そんな品のない言葉は使われておらず,「積極的に傾聴する能力」という言葉を使っておられますが,内容的にはそれほど変わらないと思います。私は,聴くということのなかには,相手に話をしてもらい,時間を共有することによって,相手から自分への信頼感が高まるという効果があり,これが,和解をするうえでは重要と思っています。
 最後に,はしがきで,山川先生が,菅野和夫先生の『労働法』の「労働関係紛争の解決手続」の下書きをされたというところを読んで,なるほどと思いました。第6版あたりから,突然,この編が入り,ますます菅野・労働法がパワーアップして驚いたものです。菅野先生のはしがきにも書かれていたのですが,山川先生という強力な援軍があったということを,改めて再認識しました。
 とにかく,これは労働問題に関係する法曹実務家には必読書でしょう。また,労働委員会における不当労働行為救済手続の話も取消訴訟まで含めてたくさん出てきますので,労働委員会の関係者にも,ぜひ読んでもらいです。さっそく,本書を教科書にして研修をやってみてください。

|

2012年2月23日 (木)

再び労働者憲章法18条

 何度も書きましたが,帰国直前まで,ariticolo 18 の嵐でした。ただ日曜で,ちょっと流れが変わってきて,論点は,所得保障金庫(Cassa Integrazione Guadagni)の見直しに少し移行した感じです。イタリア語では,カッサ・インテグラツィオーネ・グァダーニというのですが,イタリア人なら誰でも知っている言葉です。経営危機の企業の従業員を休業させた場合における所得保障の制度です。比較法的に言えば,部分失業保険と言うことができるものです(イタリアでは,これとは別に失業給付はあります)。この制度は,明治大学の小西君の専門なので,詳細は彼に聞く必要があるのですが,結局のところ,このような扶助的な(assistenziale)施策は,積極的雇用政策につながるものではなく,専門家からはずっと批判の対象でした。しかし,政治的な思惑もあり,なかなか手がつけられていませんでした。むしろ,制度の拡張が図られたりもして,いまでもCIG(所得保障金庫の頭文字をとって,チッグといいます)の特別な拡大版(CIG in deroga)が時限的に適用されています。現政権は,この制度を来年春くらいまでに抜本的に見直そうとするつもりのようです。詳細は,ここでは書きませんが,労働者憲章法18条はタブーという論者も,CIGならまだ交渉可能,という感じです。というのは,CIGの改正案はセーフティネットの張り替えのような面があるからです。CIGとか失業給付を,ammortizzatori sociali (社会的緩衝措置)と言い,これは要するに雇用を失った労働者に対する公的(といっても労使の拠出があります)な所得保障制度のことなのですが,こういうものは労働者にも喜ばれて,世間受けも良いので,政府は前から力を入れています。ただ,財政負担を使用者に求めるものなので,使用者側はもちろん諸手をあげての賛成ではありません(ただし,所得保障が充実すると,リストラがしやすくなるという一面もあるので,絶対反対でもありません)。
 労働者憲章法18条は,前から言ったように過大に評価され(意図的にそうしている感じもしますが),その見直しは,解雇の自由化を招くから絶対反対だという声が,日曜くらいから再び強くなりました。CGILのCamusso 女史は,テレビの単独インタビューで次のように発言していました。「労働者憲章法18条の廃止は,実質的には,正当事由(giusta causa)なしの解雇を認めることになるから,絶対に許せない」。しつこく言っているように,労働者憲章法18条は,解雇の効果面を定めたもので,これを廃止しても,解雇の要件面とは関係なく,自由化につながるものではありません。さらにgiusta causaというのは,民法の概念で,日本でいえば,民法628条の「やむを得ない事由」というような意味です。正確には,giutificato motivo と言う必要があります。そういう細かいことはともかく,組合のトップが,おそらく意図的なのでしょうが,労働者憲章法18条を神聖化して,これには触れてはいけないといって,議論をシンプルかしようとしている気がします。前のブログで,最大労組で旧共産党系のCGILは見直しの合意に前向きだと書いてしまったのですが,ちょっと雲行きが怪しくなってきました。
 もっと言うと,労働者憲章法18条の定める,労働者のほうが原職復帰か金銭解決かを選べるという制度(tutela reale と言います)は,従業員数が15人を超える事業所にしか適用されません。実は,イタリアでは大企業はほとんどないので,tutela realeが適用される事業所もほとんどないのです。ということで,労働者憲章法18条を廃止するということは,それだけなら,法的には,従業員数が15人を超える事業所に,不当な解雇の場合には金銭解決となる(これを,tutela obbligatoria と言います)ということであり,ところが,イタリアの企業の事業所は,ほとんどが従業員数が15人以下なので,もとから金銭解決しかできなかったのです。こう考えると,労働者憲章法18条の廃止は実態にはほとんど影響しないというのが,法律家からの正確なコメントとなります。しかし,政治の論理,組合の論理は,法律家の論理とは違うので,今後,どうなっていくかは,何とも言えません。
 マスメディアでは,ほんとうにアルティコロ・ディチョットという言葉が飛び交っています。政府は,実は,18条の神聖化はOKと思っているかもしれません。そのうえで,最後には,18条を廃止するのではないでしょうか。組合もほんとうのところは,18条の廃止が,そんなに影響がないことがわかっているはずです。そのうえで18条を廃止したとなると,政府は,対外的に,イタリアは労働市場を大改革したというメッセージを発することができますし,CGILは,イタリアのために,連帯のために,ここは泣く泣く妥協したという逃げ道ができます。経営者は,もちろん18条廃止に異論はありません。ということで,落としどころは,こういうことなのかもしれません。もしそうなら,これは巨大な政治ショーですね。いずれにせよ,イタリアの労働市場が真の改革をするためには,ほんとうはこれではダメで,むしろ,CIGをどうするか,ということこそが重要な問題なのでしょう。
 

|

2012年2月22日 (水)

帰国しました

 

  本日,無事,日本に帰ってきました。いろいろ有益な10日間でした。イタリアに滞在中のニュースとしては,労働法に関係することとサンレモ音楽祭と悪天候以外には,Monti首相が,ローマのオリンピックへの立候補に難色を示したことが大きなニュースになっていました。Milanesi に聞いたら,ほとんどがオリンピックに反対でした。国の財政を考えると,そんな余裕がないし,仮に利益が入っても,国全体が潤うとはとても思えない,という意見です。ローマに対する不信感がありますね。
 帰国直前には,日本ではあまり報道されていないようですが,イタリアの海兵隊員(maro')が,インドの漁船を海賊船と間違えて発砲し,漁師を二人,射殺してしまい,逮捕されたという事件がたいへんな話題になっていました。このままでは,死刑の危険もあるとのことでした。海兵隊員は,続発するインド洋の海賊対策として,乗船していました。争点は,現場が公海上であったのか,それともインド領海であったのか,です。イタリア政府は前者と主張して,裁判権はイタリアにあるとし,インドは後者として主張しています。背景には,このあたりの深刻な海賊問題があるようですが,日本船はどうしているのでしょうか。とにかくインド・イタリアの外交上の大問題になっていますが,どのように解決するのでしょうか。

|

2012年2月20日 (月)

解雇規制の緩和?

 イタリアにいる間に,日経新聞の経済教室で,一橋大学の川口大司さんと「解雇規制,『試用』中は緩和を」を寄稿しました。ちょうどイタリアでも解雇規制の緩和が政治的な論争になっているところで,一見したら重なり合っているようですが,私たちの主張はとてもマイルドで,イタリアのような解雇規制の撤廃か否かというような激しい議論ではなく,解雇規制の価値は認めたうえで,労働市場をとりまく環境の変化に応じた微修正として,試用期間中の解雇規制を外すべきではないか,という主張です。3カ月というのは一例であり,6カ月くらいがほんとうは妥当かもしれませんし,論者によっては1年,あるいは2年(ここが上限でしょうが)という主張もあるでしょう。大事なことは,企業にとっての採用のインセンティブを与えることにより,閉鎖的な労働市場に隙間を与えて風通しを少しでもよくすることであり,これは労働者にもプラスになるという点です。このことは,これまでもいろんなところで書いており,私個人の主張は,『雇用社会の25の疑問ー労働法再入門ー(第2版)』(弘文堂),『雇用はなぜ壊れたのかー会社の論理vs.労働者の論理』(ちくま新書)を参照してください。

 さらに今回は,このテーマを含めて,労働法制全体を,法と経済の視点から書いた本,川口さんと『法と経済で読みとく雇用の世界ー働くことの不安と楽しみ』(有斐閣)を出します。すでに,このブログでも何度か予告していますが,いよいよ刊行時期が近づいてきました。日経新聞の寄稿内容は,この本の成果の一部ですが,たまたま良いタイミングで掲載されたと思います。私たちのアプローチは,日本の雇用システムには,それなりの経済的合理性があり,法制度もそれに合わせて展開され整備されているはずであるが,それは一定の経済状況というか外的環境の下で合理性をもつ法制度であり,かつまた経済的合理性も同様であったのであり,外的環境が変化すれば,経済的合理性も変わり,法制度もそれに合わせて変わっていなければならないというものです。現状分析とあるべき政策論・立法論の両方をやっているのが,本書の特徴です。川口さんは実証分析のプロで,雇用社会の現実を非常にシャープに分析してくれています。私はこれに法的な制度説明をかぶせていっただけという感じですが,解雇のところの検討は,結局,試用期間の話に行き着き,二人の主張が最も重なっている論点の一つとなっています。これ以外のテーマでも,雇用の世界を,経済学の分析と労働法学の分析を融合させて描いており,経済学のこれまでの本とも,また法学のこれまでの本とも違うものになっていることだと思います。さらに理論的な水準も高いと自負しており,筆者自身が,この本から,たくさんの論文のネタを見つけています。ぜひ,専門家から一般の方まで,広くお勧めできると思います。特に巻末には労働市場分析の際の基本的な概念や考え方がわかりやすく解説されていますから,初学者はここをまず読んでみるのがよいかもしれません。とにかく,1週間に1章を読み込むことで,約4カ月後には,労働問題のエキスパートになっていると思いますよ(どこかで使ったコピーですが)。

 おまけですが,この本にはストーリーがついています。大卒予定の若者が内定取消を受けて,失意のなかアルバイトをしたり,請負で働いて過労による精神疾患を経験したりするなか,中途採用募集ではやっぱり若いことがものを言っていち早く採用されていく話,中堅社員の夫婦がそれぞれ正社員,パートとして働くなかで遭遇する恋と仕事の物語,不正には黙っていられない正義感あふれた中年サラリーマンがリストラされてどん底に落ちいていくが,最後はプチ幸福を味わうという話,能力のある若い女性がいきなり幹部に登用されるが,壁にぶつかって挫折をする話,そんな彼女を守るために,すべてを投げ打って戦う男の話など,その他にも,いろんな登場人物の話が絡み合いながら展開していきます。アモーレ系の話もたくさんあります。堅い話はイヤという人は,ストーリーだけでも結構,楽しめるのではないかと思います(もちろん,本文こそ,読んでもらいたいのですが)。

|

Festival di Sanremo

 今年もイタリアに来た時期が2月だったので,Sanremo 音楽祭とぶつかりました。Maurizioには,おまえはサンレモを見るためにイタリアに来ているんじゃないかとからかわれました。私はあまり強い関心をもって見ていませんでしたが,いつものようにRai uno(イタリアの放送局)では,ずっとSanremno (Ariston劇場)に関する話題を流していました。たかが音楽祭に公共の電波をずっと使い続けるのはどうでしょうかね。日本でいえば,紅白歌合戦の話題を朝から晩までやっているという感じですね。しかも,この音楽祭は5日も続くのです。よく考えると,優勝者を決めるので,レコード大賞とのアナロジーのほうがよいかもしれません。まあレコード大賞が,ほんとうのNo1を決めているなどとは,いまや誰も思っていないでしょうが。  今年はAdriano Celentano というイタリアでは超有名な歌手が参加するということで話題になっていたようです。そして,Celentano はサンレ モ初日に,教会批判をやって,たいへんな物議をかもしました。音楽祭のコンテストのほうで優勝したのは,Emma Marrone で,「Non è l'inferno」という歌です。題名は,(inferno は英語も同じですが)「これは地獄ではない」という感じでしょうか。歌詞が完全にわかっているわけではないのですが,とても重い内容の歌のように思いました。  サビの部分はこんな感じでしょうかね。「ここは地獄じゃない。死ぬ方がもっと簡単だなんて考えれるとはとても思えない。僕はそんなに無茶なこと求めているわけではないんだ。まだ夢をもっているんだ。あなたが私の話を聞いてくれて,言葉だけが残るなんてことがないという夢をね」。最後の,non rimangano parole の意味がほんとうはよくわかりませんし,全体的にも,よくわかっていませんので,イタリア語のよくでき る人に訳してもらう必要がありますが。どっちにせよ,なんとか48がレコード大賞を取るような国とは,ちょっと違います。もっとも,サンレモ音楽祭には,やはりここでも不必要に薄着というか,ほとんど裸の女性が登場しすぎだという批判がありまして,ただこれは男性の私としては,もちろん何も問題はありません。

|

2012年2月19日 (日)

ギリシャ,ドイツ,そしてイタリア

 ギリシャが破産寸前になっていて,モンティ首相は,ギリシャを助けようとがんばっているようです。こちらに来るまではイタリアも大変だろうと思っていたのですが,確かに大変ではあるものの,モンティ首相への国民の期待や支持は,いろいろな意見もありながらも,かなり高いと思います。いま犠牲の精神を忘れた行動をすると,非国民と言われそうで,これはこれでちょっと不気味な感じもありますが。最大労組のCGILの中の金属機械産業の労働組合であるFiom は,トップの意向とは反対にストライキを宣言していますが,国民は冷ややかな視線を投げかけているように思えます。ベルルスコーニ内閣のときは,労働組合の徹底抗戦の態度は受け入れられていたようですが,モンティ首相になって流れが変わってしまいました。CGILのトップも,政府には比較的協力的です。
 今朝の新聞では,ドイツの大統領のスキャンダルを皮肉る社説が出ていました。ドイツは,ユーロ大国でありながら,ギリシャに冷ややかな態度をとり,政治腐敗などを批判してきたのに,自分の国のほうはどうなんだ,という論調です。ドイツがもうちょっと謙虚であれば,ギリシャ危機の解決も進むだろうし,欧州の空気も呼吸しやすくなるだろう,というまとめでした。要するに,ギリシャがこんなに苦しんで,他の欧州諸国にも飛び火をしようとしているのに,ドイツは自分は安泰ということで冷たい態度をとっているけど,それってどうなの,ということでしょう。ちょっとドイツが可愛そうな気もしますが,ドイツは,いまだに欧州の中では,嫌われやすい国民ではありそうです。
 逆に,モンティ首相は,ギリシャの政治には問題があるけれど,国民には罪はないし,国民が,緊縮財政に怒ってデモやストをするからといって,ギリシャを見捨ててはならない,ということを言っているようです。非常にまっとうな意見だと思いますが,この首相の言葉は,ちょっと綺麗すぎるところもあります。まあ政治家ではない学者が首相になっているので,ピュアなのでしょうかね。首相としてのお手並みはこれから拝見というところでしょうか。ただ,この人は,欧米からの信頼感は高く,イタリアが現状を乗り切るのには,最適の首相が選ばれたのかもしれません。もっとも,口の悪いイタリア人に言わせると,前の首相のベルルスコーニがひどすぎたので,誰が首相をやっても,よくみえる,ということなのですが。
 いずれにせよ,イタリアのほうも経済が苦しいことに変わりはなく,労働市場改革の話は連日,新聞には出ていますが,どうもアドバルーンをあげるばかりで,なかなか前に進んでいないような気がします。真面目に改革を考えると,たぶん頭が痛い課題が山積なのでしょう。政労使の交渉というやり方で進めていくのですが,交渉でどこまで合意にたどりつけるでしょうか。
 欧州の経済危機は,次はポルトガルでは,などとも言われています。まだまだ予断を許しません。欧州の底力が試されているのでしょう。そして,欧州が生き残るためには,嫌われ者のドイツに頼らざるを得ないのが現実であり,そこは外交力を使って,どこまでドイツにコミットさせるのか,が重要なのでしょう。外交というのは,うわべだけの笑顔で,どこまで相手を動かせるかが勝負ですからね。

|

2012年2月18日 (土)

ミラノ雑感

ミラノに来てからすでに一週間近く経つのですが、時差ぼけ(fuso d'orario)がなかなか直りません。午後になると眠くてだるくてたまりませんし、朝はとても早く目覚めます。最初は4時でしたが、さすがに6時くらいになってきましたが、身体はずっとしんどいです。こんなに時差ぼけが直らないのは初めてです。体調が良くなかったこともあるのでしょうが、やはり老化しているのでしょうね。
喉がずっと痛いのですが、さすがに風邪は治っていると思いますので、これはミラノ名物(?)のinquinamento dell'aria ですね。大気汚染です。冬にミラノを旅行する人は要注意ですよ。
ミラノは中央駅(stazione centrale)がずいぶんモダンになり、また駅前の高層ビル建設が進み、なんだか普通の都会みたいになってきています。ちょっと残念です。
ボッコーニ大学も、イタリアの大学とは思えないくらい、きれいで、やはりモダンで、以前にいたミラノ国立大学(statale)とは、かなり違います。旧友のMaurizioが、いつもいてくれるので、過去との連続性を感じることはできますが。
ミラノは私の第二の故郷なのですが、いつまでも私の郷愁をかきたてる所でいてほしいです。

|

2012年2月17日 (金)

やはり来なければわからない

 イタリアの労働法のここ数年の変化は驚くべきものですが,私は一番びっくりしたのが,昨年9月に,contratto aziendale (企業協約あるいは事業所協約)について,法律や上位の全国労働協約をderogare する内容を定めることができるとし,しかもその協約に一般的拘束力を認めるという法律が制定されたという情報です。イタリアの労働協約はずっと普通法上の協約と呼ばれ,法的な規制から遠かったのですが,一気に,そうしたものを何段階も飛び越えて,強烈な規制が入りました。ほぼすべての労働条件について,法律の規制であっても,労働協約によって下回ることができるというのは,驚きです。もはや最低基準立法という概念の放棄です。もちろん,公序良俗違反というのはあるということでしたが,それは解釈によるものです。日本法との比較という点で,どういうような結びつきがあるのかは,もうちょっと深く分析しなければなりませんが,イタリア労働法の専門家としては,これはどうしても無視できない重要な法律です。derogation も,ここまでくるかという感じです。
 この法律の背景をマウリツィオにレクチャーしてもらったのですが,それで初めて,いろんなことがよくわかりました。日本にいても,この法律(正確には,いろんなことが書いてある法律の中の一箇条)は見落としてしまいそうですし,ましてや背景的な事情などわかりません。この法律は要するに,イタリア一の大企業のフィアットの工場移転をめぐる騒動,そして,三大労組(最近では四大労組のような感じでもあるのですが)のなかの争い,さらに最大の労組であるCGIL内部の争いなどが絡みあっているようなのです。日本人としてはイタリアはやっぱりすごいと無責任に面白がっていると,マウリツィオは我々にとっては面白がっている余裕はないと怒られてしまいました。面白いので,これは論文で書くか,ちょっとしたエッセイで書くか,さらにはこれをネタに想像力も加味して小説のようなものにするか,ちょっと迷うところです。ただこんなことで迷っているようでは,研究者失格かもしれませんが。とりあえず,この法律については,何らかの形で紹介したいと思います。昨年も労働市場の問題についていろいろ勉強してメモまで作って帰ったのに,結局,お蔵入りになってしまいました。帰国すると,山のような仕事が待っているので,やっぱりダメですね。まあ,小西君(明治大学)や大木君(姫路獨協大学)に任せることにしましょうか。

|

2012年2月16日 (木)

イタリア女性

夕方にイタリアのクイズ番組を見ていました。正誤問題で,San Valentino in Giappone(日本のバレンタイン)について,日本では,女性だけがプレゼントをあげるが,正しいか間違っているか,という質問でした。解答者は si といって正解でした。これがクイズ番組の質問になるということが,面白いですよね。こちらは,男女関係なくですから。それで解説がついていて,日本人の女性は文化的な理由で,自分から愛を告白しないが,この日だけは告白できる,ということでした。そして本命チョコと義理チョコまで,日本語で言って,説明していました。内容は基本的に正確だったと思いますが,これがかえって,グローバル化を思い知らされました。かつては日本のことを語らせると,とんちんかんなことが多かったのですが,最近はかなり的を射たものになってきたのです。それだけでなく,こちらで会った人で日本のアニメが好きというイタリア人はどんどん増えているようで(数年前から目立ってきていました),まあ麻生元首相が考えていた(?)アニメ外交は意外に効果的なのかもしれません。
 このクイズ番組は,解答者は一般人なのですが,超セクシーな女性がアシスタントに何人もいて,クイズ問題の解説は彼女らがするのです。また一般人の画像の合間合間に,無関係に彼女たちの笑顔の画像が映されます。日本でこんな放送をすれば直ちに苦情が殺到して,番組は即打ち切りになるでしょうが,イタリアでは昔からこういう番組が多いですよね。イメージとしては,叶姉妹の妹をもっと若くしたような感じの女性が,アタック25の中で,たくさん出てくるという感じです。一般人の解答者の女性とのコントラストがありすぎて,私がみても,ちょっとどうかなと思うのですが。やっぱり,この国はすごいです。肌を露出してなんぼ,という感じですね。
 ところで,現在,労働市場改革のための交渉(労働者憲章法18条をめぐるものが中心)が行われていますが,担当大臣である労働大臣のFornero,使用者団体のトップのイタリア工業連盟のMarcegaglia,さらに労働組合の中の最大組織であるCGILのトップのCamusso はすべて女性です。Camusso はたたき上げの組合員という迫力があり,Marcegagliaは上品なエリート経営者という感じです。イタリア全国,そして世界からも注目を浴びている交渉の中心人物が女性であるというのも,この国の一面を示しているのです。

|

2012年2月15日 (水)

tempo

ミラノは昨日から天候が回復しています。しかし雪は残っていて,50年に一度の寒波だと言っています。とにかくローマや中部は大変です。冬も比較的温暖なローマで,これだけ雪が降ると,やはり大混乱なのでしょうね。イタリアで悪天候をmaltempo と言います。新聞各紙では,maltempo の字が踊っています。マルテンポと読みます。tempoはテンポで,ほとんど日本語になっていますよね。本来は音楽用語で「拍子」くらいの意味でしょう。音楽用語において,いかにイタリア語の影響が大きいかがわかると思います。ただ,イタリア語におけるtempo の普通の意味は「時」です。英語のtime です。tempo libero (テンポ・リーベロ)というのは,自由な時間ということで,要するに余暇です。マルは,もともとはmale(マーレ)で,悪いことです。ちなみに,日本語でマーレと発音すると,mare となり,海となるので要注意です。前にも書いたように,r とl は間違えないようにしなければなりませんね。では,これだけだとマルテンポは,テンポが悪いとか,つらい時間というようなことになりそうですが,そうではありません。tempo には,もう一つの意味があります。それが「天気」です。だから,マルテンポは悪天候になるのです。
しかし,どうしてtempo が天気なのでしょうかね。ラテン語の語源のtempus も「時」です。イタリア語をやっていると,Che tempo fa oggi?(今日の天気は?) とか,Fa bel tempo (いい天気だ)とかいう言い回しを普通に覚えてしまうのですが,よく考えると不思議です。英語でも,天気は,time ではなく,weather ですよね。ちなみにフランス語のtemps は,イタリア語の影響であり,やはり両方の意味があります。zero に続いて,tempo のことも,Maurizio に聞いてみようと思いますが,くだらない質問ばかりすると,いやがられるかもしれませんね。

|

2012年2月14日 (火)

ゼロは複数?

今さらながらですが,基本的なことでわからないことがありました。英語のときにきちんと学校で教わっていたことかどうか忘れましたが,ゼロというのは単数かどうかです。というのは,タクシーに乗ったときに寒かったので,そのように言ったら,その運転手が,いまの気温は「zero gradi 」といったのです。「0度」です。どうして外気がそんなに寒いのに,タクシーの中で暖房を効かせていないのかと思いましたが,私が反応したのはそこではなく,gradi というのは複数なので,どうしてゼロが複数なのかという疑問をもったのです。Maurizio に訪ねると,ゼロ度というのは,別に「無」ではないからだ,と言っていたので,それじゃ1度はどうか,というとそれは,「uno grado」となって単数だと言うのです。そうすると,先ほどの説明と一貫しないことになります。結局,そういう言い方が慣例だということしか,わかりませんでした。私は,ゼロが複数であることが,どうしても納得できないのですが,そんなことを言っても仕方ありませんね。気温のゼロは,単なる測り方の問題で,どこを基準とするかによって変わるものです(摂氏と華氏があるように)が,では,ほんとうのゼロはどうなのでしょうかね。たとえば,変な例ですが,2名いる人は,Ci sono due persone (There are two persons)で,1人殺すと,C'e' una persona (There is one person)ですが,もう一人殺すと,C'e' zero persona (There is zero person)か Ci sono zero persone (There are zero persons)か。まあ,Non c'e' nessuno (There is no one)なんでしょうね。
  昨日の宿題であった労働者憲章法18条については,私の疑問が正しかったのです。労働者憲章法18条は,やはり解雇の正当理由などについては何も定めていないのです。ところが,イタリアのマスコミは,この点を完全に誤解しているというのが,Maurizio の説明でした。これですっきりしました。日本のマスコミも,イタリアのマスコミを鵜呑みにすると間違いとなりますから気をつけるように。要するに,イタリアの解雇規制は,正当理由が必要というのは,1966年の法律で定められていたことで,1970年の労働者憲章法18条は,不当な解雇について,原職復帰か金銭解決かを労働者のほうで選べるようにする(事業規模が一定以上の場合)ということを定めるにすぎません。労働組合が反対している労働者憲章法18条の廃止は,実はそれが実現しても,1966年の法律が残っている限り,解雇の自由化にはつながらないのです。イタリアのテレビも新聞もすべて曖昧な情報を流し続けているのですが,まあ条文や法律はどうでもよく,大事なことは解雇の自由化が是か非かということなのでしょうね。
 私の見た感じでは,今回の一連の経済危機はイタリア人に相当こたえたようで,労働組合も解雇規制の緩和への反対論は以前より強くないと思います。イタリアにとって労働市場改革は避けて通れないことであり,仮に解雇規制を犠牲にしても,それによってイタリアが浮上するなら良しとするという現実的な感覚が労働組合のほうにもあるように思えます。同様のことをやろうとしたビアジが暗殺された頃と,状況はかなり変わったということですが,それだけにビアジの悲劇がいっそう痛ましいです。あれからたった10年しか経っていないのです。ギリシアのようになるな,ということが合い言葉なのです。それにしても,労働組合がもしほんとうにこういうように変わっているとすれば,これはイタリアの歴史のなかでは大変な出来事だと思います。もう少し,状況を見て分析していこうと思います。

|

2012年2月13日 (月)

ミラノ到着

 結局ミラノのLinate 空港に着いたのは21時で,荷物を受け取って出たところで,Maurizio (Del Conte 教授)が出迎えに来てくれていて(事前に聞いていなかったので,che bella sorpresa!),いつものホテルまで送ってもらいました。着いたのは21時40分くらい。Linate 空港は中心(Centro )に近くて便利ですが,これはMalpensa 空港の便が減ったことを意味していて,いまMalpensa 空港の経営状況は大変みたいです。ミラノにとっても,イタリアにとっても大きな問題です。Malpensa は,確かに,ローマのFiumicino 空港と並ぶイタリアの代表的な国際空港ですからね。それにしても,西宮の家を出たのが,朝の7時でしたから,ほぼ23時間近い旅です。風邪を引いている身にはこたえました。直行便のときよりも疲労が2倍という感じです。
 時差ぼけで何度も目が覚めましたが,朝の8時くらいに朝食をとって,部屋で仕事を少ししてから,昼前に外に出て,身体を慣らします。とはいえ寒くて,ちょっと歩いているだけで,耳が痛くなり,また足の底から冷えてきて,困ってしまいました。さすがにミラノの寒さは違います。北海道に来た感じでしょうかね。風邪は完治とはいかず,鼻水と喉はまだつらいです。フライトで痛くなった耳も,まだちょっとおかしいです。
 日曜ですが,Duomo 近くにあるRinascente は開いていて,そこに行ってYシャツやネクタイを買いました。10パーセント割引だからということで,カードを作らされました。日本ではこういうカードは作らないのですが,興味本位で作ってみました。住所などは聞いてこないところが良かったです。個人情報は名前と電話番号くらい。しかも名前は,間違って入力されていて,Shinja でした。まあ発音するとyaと変わらないのですが……。いつもミラノに来るときは,荷物を少なくするために,かさばるシャツなどは最小限にして,現地調達するのです。ブランドものはミラノで買う必要がないので,イタリア製ですがノーブランドの安物を買うのです。これが結構いいので,ミラノを旅する方にはお勧めです。とにかく明日からBocconi大学に行って,いろいろやることがあるので,今日中に買い物を済ませておきました。日曜に開いていることは予想していたとはいえ,助かりました。Duomo 近辺は観光地なので,大きな店は,年から年中,開いているのです。
 これからDel Conte 教授に会います。イタリアの最近の状況を聞いてきます。こういう直接の情報収集がとても役立つのです。ネット情報などではなく,知識が立体的になるという感じです。テレビも貴重です。さっそく政労使の交渉のニュースが流れていました(トップニュースは,雪問題ですが。ローマなどで犠牲者が出てしまい,そのお葬式の模様が報道されていました)。労働者憲章法18条のことがやはり焦点です。専門的な話になりまが,ニュースでも,労働者憲章法18条は,解雇には正当理由が必要と定めた規定で,その見直しは解雇を自由化することであるという趣旨のことを言っていました。ただ,これは厳密に言うと不正確な言い方だと思います。解雇に正当理由を定めているのは,1966年の法律で,労働者憲章法(1970年5月20日法律300号)は,正当理由のない解雇についての救済方法について定めたもののはずで。どうしてこういう報道になっているのかも,Del Conte教授に聞いてきましょう。それにしてもMonti 内閣は,解雇問題に手をつけようとしているとなると,これは本気ですね。今回の滞在で,じっくりと労働市場(Mercato del lavoro)の規制の動向について調べてきたいと思います。 

|

2012年2月12日 (日)

パリから

パリのシャルル・ドゴール空港に着いて時間があったので,ブログを書くことにしました。日本時間は2時ですね。これから,ミラノ行きに乗り換えます。パリのこの空港は何回も来ていますが,きれいで快適です。
 ローマやイタリア中部は,数日前から,雪で大変というのは,ネットでイタリアの新聞を見ていました。ミラノも相当寒そうです。それにしても,関空からのアリタリアやJALの直行便がなくなったので,成田経由で,しかも,どこかの都市を経由してということになるので,ほんとうに長旅です。昨年はフランクフルト経由でした。フランクフルトよりはパリのほうがいいですね。
 幸い,出発前に薬を飲んで,体調がかなり戻ったので,よかったです。とはいえ体調が完全ではなかったので,アルコールはあまり飲まなかったのですが,それがかえってよかったのか,いつものヨーロッパ出張のときよりは調子が良い感じです。機内では,寝る以外は,ずっと仕事をしていました。ただ,映画を1本だけ見ました。「Friends With Benefits」というものです。フランス語では,「Sexe entre amis」 となっていました(エールフランスに乗ったのです)。セックスはするけれど,友達関係を続けるという男女の話です。いろいろ過去があってこうなっているということなのですが,どおってことのない映画です。お金を出して観るようなものではないでしょうね。 ☆

|

2012年2月11日 (土)

JR西日本企業倫理委員会

  JR西日本の企業倫理委員会の任期2年が終了しました。先日,最後の会議がありました。この2年の間にも,JR西日本は,いろいろなことがあり,委員としては,厳しい意見も言わせてもらいました。具体的な内容については守秘義務がありますのでここに書けませんが,JR西日本に「good company」になってほしいという気持ちは,社長や副社長には十分に伝わったと思っています。とはいえ,これだけの大きな会社の企業倫理委員会というのは,私には,いささか荷が重いものでした。自分なりにベストは尽くしましたが,どこまでやれたのかという点については,正直なところ,自信がありません。個人的には,滝井先生の大所高所からのご意見,会社法の大家の森本先生からの鋭いご意見,消費者運動の立場からの仲宗根委員のご意見などをお聞きして,委員会を通してたいへん勉強させていただきました。関西に住む私たちの生活は,JR西日本なしにはやっていけません。JR西日本のファンはたくさんいるのです。事故のことは当然として,不祥事が起こるたびに,どうしてこうなのとがっかりさせられることも多々あったのですが,愛情をもって,ときにはそれゆえに厳しい目線で,この会社の今後を見守っていきたいと思っています。 

|

2012年2月10日 (金)

LS期末試験

 昨日は,どうも身体がふわふわしていると思って,家に帰って熱をはかったら7度4分あって,高熱というほどではないのですが,私にとっては平熱が5度5分くらいですから,かなりの高熱でした。こういうときは風呂に入るかどうかが問題となるのですが,私はインフルエンザのときも風呂には入るという主義でして,当然,昨日も風呂に入い,身体を休めていると楽になっていき,熱も6度台にまで下がりました。それでも,身体はやっぱりつらかったので,早めに眠りました。
 今朝は喉が痛いし,鼻も詰まっていますが,熱は平熱に戻り,これでなんとか海外出張にも行けそうです。多くの方に心配をかけてメールもいただきましたが,ひどいことにならなくて,一安心です。
 ということで,まずはLSの期末試験の採点をしてしまわなければならないので,それをやってしまうことにします。今回は,採用内定取消,試用期間中の本採用拒否,リボン(ハチマキ)闘争をした従業員への賃金カット,有期労働契約の反復更新後の雇止めについて,それが組合委員長である場合の争い方(雇止め制限法理と不当労働行為)と雇止め後に加入した労働組合(ただし企業別組合)からの団体交渉についての使用者の応諾義務といった論点で聞いてみました。いつものように長い事例を読ませるのではなく,むしろ簡単な事例のなかで,労働法の基本的な論点を確認するような問題ばかりを聞いてみました。半分くらい採点しましたが,まずまずといったところでしょうか。
 

|

2012年2月 9日 (木)

海外出張前はいつも忙しいのですが……

 今日はLSの期末試験を午前中に行いました。いつもよりも基本的なことを問う問題にしてみたのですが,どうだったでしょうか。
 実は今週の土曜日から海外出張なので,大急ぎで採点をしなければならないのです。ところが,朝から調子が良くなく左目がおかしかったのですが,午後になると,身体全体が悪くなってきました。今日は大事なシンポジウムや学内の会議があったのですが,午後3時くらいにさすがにSOSとなり,大事をとって後は休んでしまいました。申し訳ありません。ということで,ほんとうに1年に数回というくらいの早い時間帯での帰宅が実現しました。インフルエンザではなさそうですが,頭痛と肩こりがひどくて,ものもらい(めばちこ)までできてしまいました。お風呂にゆっくりつかっていると,少しましになりましたが,視力が低下しているのも気がかりです。学生がインフルエンザで休むと,追試を作らなければならず出張があるので困ったことになるなと思っていたのですが,インフルエンザでの欠席はなかったようなので,ほっとしていたら,その油断もあったのか,こっちが体調不良になってしまいました。
 実は金曜日までに,やらなければいけないことをリストアップすると,ちょっと絶望的な気分になっています。一番,大切なのは,イタリアでの仕事関係のことで,その準備がまだ3割くらいしかできていません。きちんと準備しなければ,何のために行くのかわからないので,これは最優先です。その合間に採点作業,労働基準の連載原稿(これは,おおかた書けています),ジュリストの労働判例評釈の原稿(7割くらいの完成度でしょうか),ここまでは出発前までにやっておきたいところです。そういえば,1年次演習なるものを,来年度は担当するので,そのシラバスの入力という厄介な仕事も,出発前でなければなりませんね。後は機内でやるのと,むこうに行ってからですね。生産性新聞の最終回の原稿はもうほぼ書けているので,うまくいけば,空港から送れるでしょう。帰国後にジュリスト5月号掲載の座談会を守島先生とやるのですが,その進行のスケルトンの作成も,イタリアでやる仕事です。それから労働委員会事務局から頼まれた仕事もありました。ちょっと頭が痛いのが,商事法務から出す座談会の原稿校正です。この仕事はほんとうは優先順位をあげるべきなのですが,その隙間があるかどうか。個人的には,最もがんばりたいのが,やっと出た「Live! Labor Law」の単行本化のゲラのチェックですが,自分の単行本となると後回しになる可能性大です。でもゲラはイタリアに持って行きます。帰りの飛行機でがんばりますし,トイレには必ず持ち込んで,隙間の時間帯はこれに打ち込みます。他にも,うちの仕事はどうなっているのか,と言われる方もいそうですが,忘れているわけではなく,帰国すればがんばりますので,お許しください。帰国後は,まずは修士論文の審査もあるのですが。
 ブログを書いている暇なんてないなだろうと言われそうですが,これはたとえ熱があろうが,別なのです。とはいえ,目がしょぼしょぼしてきました。最後に,これだけは書いておきます。今日,体調がひどくなる前に,二つの仕事を終えておいて,ほんとうに良かったです。一つは,川口大司先生との共著の『法と経済で読みとく 雇用の世界 -- 働くことの不安と楽しみ』(有斐閣)の索引チェックを終えたこととです。夢の中で気になるところが出てきて,朝一番で有斐閣にメールを入れました。寝ていても校正をしているのですから,体調も悪くなりますよね。いずれにせよ,これで完全に著者の手を離れました。2月下旬に刊行予定です。HPにもアップされています(http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641163898)ので,みなさんも楽しみにしてください。もう一つは,この本にも関係しているのですが,川口先生との共著で書く,日経新聞の経済教室の原稿の小刷りのチェックを終えたことです。これは私がイタリアにいる間に掲載されそうです。初の日経新聞への登場です。いろいろな反響がありそうなので,また掲載された時点で,そしてイタリアで余裕があれば,このブログで原稿のコメントというか補足説明のようなことをできればと思っています。
 そろそろ体力の限界となってきました。明日の労働委員会での長丁場の仕事がありますから,しっかり眠って体力を回復したいと思います。

|

2012年2月 8日 (水)

ミスのお詫び

 このブログは,自分の書いたものの誤植を発見した場合の連絡用にという意味もあったのですが,最近は少しサボっていました。
 どこまでを書いたか忘れましたが,ちょっとあり得ないようなミスを発見しましたので,恥ずかしいので書いておきます。
 ① 今後,改訂版を出すということで原稿のチェックを頼まれた『労働法重要判例を読む』(日本評論社)で,私は,朝日火災海上保険(高田)事件を担当していたのですが,そこの221頁で,過半数代表の意見聴取について,なんと労基法89条を引用していました。正しくは,言うまでもなく90条です。どうしてこんなことになったのか理解に苦しみ,自分でも唖然としています(私は,労働条件変更法理について,90条を根拠にした解釈論を主張しているので)。編者の先生(唐津先生,和田先生)を初め,読者の方には,ご迷惑をかけました。
 ② 今度は私の本ですが,『雇用社会の25の疑問(第2版)』(弘文堂)の261頁(キャリア権に関する章)で,諏訪康雄先生のキャリア権の論文の刊行年を間違っていました。1994年となっていますが,正しくは1999年です。ご指摘してくださったTさん,ありがとうございました。諏訪先生には,たいへん失礼いたしました。なお,心配になって,同論文を引用している『キーワードからみた労働法』(日本法令)のほうを見ると(350頁),そこでは正しく1999年となっていて,少しだけ安心です。これも,何が原因で間違ったかは,ちょっと理解できません。読者には,そんなに迷惑をかけていないかもしれませんが,恥ずかしいミスです。
 ③ もっとシリアスなミスがあります。『労働法学習帳(第2版)』(弘文堂)の育児休業・介護休業の部分)(125頁)は,いろいろ書き直したいところがあるのですが,特にQ5(126頁)には,誤りがあって書き直す必要があります。
 「(1)引き続き雇用された期間が[ ① ]年以上である者」の後に,「,または」となっているのですが,「であり」としなければならないのです。
 また,最後の,「者も取得できる」は,「者であれば取得できる」としたほうがいいところです。
 読者の方にはご迷惑をかけました。これは弘文堂のHPで正誤表を載せることになっています。
 このほか,解説のA1(125頁)で,「専業主婦(夫)」とあるのは,「専業主婦(夫)のいる労働者」とすべきで,条文に忠実に書くとすると,「配偶者が常態として子を養育できる者」となりますし,Q3の[ ① ]の後の「カ月」は削除してもらう必要があります。これらは弘文堂のHPでは載せていませんが,次の改訂時期には,その他の点も再点検して,すでに公表している誤植も含めて,読者に迷惑をかけないようにしたいと思います。

|

2012年2月 7日 (火)

原発危機と「東大話法」

 安冨歩『原発危機と「東大話法」ー傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店)を読みました。原発問題について論じる本ですが,この原発推進する立場の者たちの論法に共通する問題点は,その独特の話法にあるとし,これを「東大話法」と名付けて,その規則性を指摘し,こうした話法を使っている実例をあげて批判をします。具体的には,「東大話法」を使っていた東大大学院工学研究科の大橋教授,香山リカ氏,池田信夫氏などが槍玉にあげられています。著者は,決して,こうした人たちを傷つける意図はないとしてますが,香山リカさんについては,読んでいて,ちょっと可愛そうな気がしてきました。女性に甘いのでしょうか……
 著者のいう「東大話法」の規則については,確かに,なるほどなと思うところがありました。笑ってしまったのは,「誤解を恐れずに言えば」とくれば,その後に嘘をつくという規則です。確かに紹介されている実例をみれば,そういう感じがしますね。私もこの言葉を使うことがありますが,「東大話法」とは違っていて,言葉の使い方などで面白さを追求してしまいそうな場面で,こういう言い回しを使います。むしろ本音を言うときの表現です。いずれにせよ原発問題など,シリアスな場面では使えないですね。「わけのわからない見せかけの自己批判によって,誠実さを演出する」という規則性も,なるほどと思いました。
 著者は,東大関係者がみんなこの話法を使っているわけではないと断っており,ただ,日本で知の権威とされている東大で,こういう欺瞞的な言い回しがよく使われていることを指摘したいということで,東大話法と名付けたようです。問題は,どうしてこうした話法が使われるようになったか,です。この点についての著者の分析は,たいへん勉強になりました。一言でいうと,「立場主義」とでもいうものなのです。東大話法の規則の1番目は,「自分の信念ではなく,自分の立場に合わせた思考を採用する」というものです。立場が中心なのです。日本人のなかで,立場がなぜ重要な意味をもつようになったのかについて,著者は,この言葉の使われ方の歴史をたどりながら分析していきます。この部分は,ぜひ読んでみてください。夏目漱石の「立場」の使い方の変遷などの分析は,どこか煙に巻かれた感じもしますが,おもしろかったです。
 私たちの社会では,大人になるというのは,立場をわきまえて行動できることと同義のような気がします。著者は,立場に関係なく,真理を追求することこそが大事であると述べます。まったく同感なのですが,ただ,全面的に賛成というわけでもありません。私は立場主義も別にかまわないと思うのですが,そこにノブレス・オブリージュをともなうことが大切ではないか,と思っています。受験秀才で情報処理能力は格段に高いけれど,人間としてのどこかが欠けているという人,本当の意味で国のことを考え,国民のことも考えるエリートの自覚をもたない人が指導者階級に増えていることが問題なのではないかと思っています。そういうところから,「東大話法」が出てくるような気がします。これは,もちろん私にとっての自己反省でもあります。と書きながら,こういう自己批判で誠実性を示すというのが,「東大話法」なのでしょうかね。
 本書は京大出身の東大教授の書いた本なのですが,実は「東大」というネーミングをつけるところに,どことなく,「東大」というものに対する屈折した心理が現れているような気もします。私は,以前から,ある種の知識階層には,東大コンプレックスが蔓延している気がしています。東大といっても,たいしたことはないではないか,という主張は,非東大系の知識階層にはウケるのです。これは逆に,東大というだけで,ひれ伏してしまう人たちが多いことの裏返しでもあります。東大は,その実像よりも遙かに大きな大きな虚像に基づき権威を付与されているのかもしれません。「東大話法」も問題ですが,そもそも「東大」を巨大視しすぎ,場合によってはそれを利用したり,あるいは逆に屈服したりするというような,広い意味での東大コンプレックスこそが問題なのではないかと思います。とはいえ,本来,役人の世界などはさておき,純然たる学問の世界では,東大かどうかは関係ないはずです。論文のクオリティがすべてのはずですから。そういう点からすると,この本に出てくる原子力研究の分野は,ほんとうに異常な世界だという気がしますね。これが「東大」の典型だという印象が与えられると,ちょっと困るような気もします。
 本書は,この東大の話と,もう一つの原発の問題という,大きな二つの軸があります。両者は絡み合っているのですが,原発の恐ろしさを摘発する本という観点から読んだほうがよいのかもしれません。実際,私も原発問題について,本書から多くのことを学ぶことができました。面白く勉強になった本ですが,どことなく著者の表現や書き方に好きになれないところがあったので,☆☆☆ としておきます。

|

2012年2月 6日 (月)

アボカド

 今日,アボカドのサラダを食べることがあったのですが,英語で書かれているメニューで,avocado となっていたので,ちょっと違和感がありました。これは,スペイン語の弁護士の意味ではないのか,と思ったのです。メニューの表記が誤植だろうかと思っていると,確かにアボカドのスペルはこうなのです。英語でも,イタリア語でも同じです。これはどういうことだろうとネットで調べてみると,http://www.hat.hi-ho.ne.jp/heart_thoughts/avocado/name.htm の画面が出てきました。そこで次のような記事が出ていました。「アボカドの語源は、アステカ人の言葉であるナワトル語(Nahuatl,náhuatl)のahuacatlです。ahuacatlは、アボカドと睾丸(testicle,testículo)の両方の意味を持ち、アボカドの形が睾丸に似ていることに由来しています。アボカドを見つけたスペイン人は、ahuacatlの発音をまねて、スペイン語でaguacateと名付けましたが、他のスペイン人には発音しにくかったため、発音が似ている弁護士を意味するavocado(弁護士の現在のスペルはabogado)と言っていました」。やっぱり,アボカドは弁護士だったのですね。しかし,ここにもスペイン人の南米侵略の影響が残っているとは……
 ちなみに弁護士は,イタリア語では,「avvocato」と言います。小学館の伊和中辞典によると,ラテン語のadvocareが語源で,「被告を守るためにその人の近くに呼ばれた者」という意味だそうです(直訳すると,「~へ呼ばれた」という感じでしょうか)。英語のadvocateも同根の言葉です。英語で弁護士はlawyer ですが,ところによっては,adovocateを使うところもあるそうです。

|

2012年2月 5日 (日)

裁判例にみる企業のセクハラ・パワハラ対応の手引

 中町誠・中井智子編『裁判例にみる企業のセクハラ・パワハラ対応の手引』(新日本法規)をいただきました。どうもありがとうございました。本書の特徴は,弁護士の先生方が分担して,いわゆるセクハラとパワハラの裁判例を網羅的にとりあげ,それぞれについて事案,判旨を簡単にまとめ,またコメントもついているという点です。セクハラやパワハラについては,加害者の行為の違法性の線引きも重要ですが,どこまでとなると会社の義務違反が認められるのか,という点が実務上は,とても重要です。本書は,このような点で,たいへん参考になるのではないかと思います。

|

2012年2月 4日 (土)

第70回神戸労働法研究会(その2)

 もう一人は同志社大学の山本陽大君の「退職労働者の在職中における石綿曝露をめぐる団体交渉―近時の裁判例・労働委員会命令を素材として―」というテーマ報告です。兵庫県労働委員会が扱ったの住友ゴム工業事件について,以前に取消訴訟の第1審を報告をしてもらったのですが,その後,控訴審が出て,さらに最高裁で確定し,そのほかにも,ニチアス事件中労委命令がでるというなかで,もう一度,使用者性の時間的拡張に関する問題を検討しようとする意欲的な報告でした。彼は前の報告ですでに否定説の立場をとっていたのですが,これに対して批判的な意見が多いなかで,もう一回きっちり検討しようというものでした。分析の周到さ,理論的な切れ味など,どれを取っても超一級品の報告で,久しぶりに背筋がゾクゾクしました。彼は否定説の立場であるとはいえ,その結論がどうかというよりも,こうした事案で使用者性を認めるにしろ,否定するにしろ,理論的な筋をはっきりさせよ,という強烈なメッセージがあり,そこが私にはたいへん気に入りました。若い研究者はこれくらい勢いがあってよいのです。勢いがあれば隙ができそうなものですが,この報告には私は隙はなかったと思います。あえて懸念材料をあげるとすれば,完成しすぎているという点くらいでしょうか。
 この報告を活字にするということもあってもいいのですが,記録よりも,記憶にとどめておいたほうがよいのかも,と思っています。それくらいの人を心を打つ報告だったと思います。

|

2012年2月 3日 (金)

第70回神戸労働法研究会(その1)

 ついに70回となりました。一人目は,北大助教の所浩代さんにゲストで来てもらい,学校法人兵庫医科大学事件(大阪高判平成22年12月17日労判1024号37頁)の報告をしてもらいました。兵庫県に来て報告するということで,わざわざ兵庫県に関係する事件を選んでくれたそうです。お気遣い,ありがとうございます。
 事件は,大学病院に医局員として採用されていた医師が,教授選に立候補したことから,上司の教授の怒りを買ってしまい,その後,10年にわたり臨床業務と教育業務からはずされてしまいました。他大学への派遣についても3年ほどでなくなってしまいました。そこで,この医師は,病院および担当教授に対して,違法な差別的処遇を受けたとして,不法行為に基づく損害賠償請求をしたところ,第1審は慰謝料を100万,控訴審は慰謝料を200万円認めました。
 この事件を最初見たとき,キャリア権の問題だなと思いました。次のような判示部分があったからです。
 「控訴人が大学病院に勤務する医師とはいえ,臨床担当の機会を与えられなければ,医療技術の維持向上及び医学的知識の経験的取得を行うことは極めて困難といわざるを得ず,そのような期間が長期化するほど,臨床経験の不足等から,被控訴人大学病院において昇進したり,他大学ないし他病院等に転出する機会が失われるであろうことは容易に推測されるところ,前記認定説示のとおり,違法な差別的処遇である本件処遇が10年以上という長期に及んだものであったことからすると,控訴人が本件処遇によって受けた精神的苦痛は相当に大きいというべきである。」
 ここでは昇進や移籍のことを語っており,こうした労働者のキャリアが保護に値する利益であると述べているように思えるからです。
 一方,この事件は,就労請求権に関するという面もありそうです。医師に対して医師としての仕事をさせていないことについて,賃金さえ払っていればよいというのが就労請求権否定説です。否定説でも,仕事の性質上,就労することに特別な利益がある場合や特約がある場合は就労請求権を肯定するということになるのですが,本件のケースでいえば,こうした就労請求権が侵害されたということが,不法行為としての損害賠償を根拠づけるということもありうるかもしれません。
 一方,本件での原告の主張は,仕事を与えられないことが人格権侵害であるというものであり,そうなると人事権の濫用の問題ということになりそうです。実際,第1審は,担当教授が,10年間,いっさいこの医師に臨床を担当させなかったことは,裁量の逸脱であると判断しています。一方,控訴審では,「控訴人は,被控訴人大学病院に赴任するまで15年以上の間,主に勤務医師として働いてきた(複数の病院において耳鼻咽喉科部長として勤務した。)経験を有するのであるから,被控訴人大学としても,そのような控訴人を採用しておきながら,その後において,控訴人が大学病院に勤務する医師としての資質に欠けていると判断したのであれば,控訴人に対し,そのような問題点を具体的に指摘した上でその改善方を促し,一定の合理的な経過観察期間を経過してもなお資質上の問題点について改善が認められない場合は,その旨確認して解雇すべきところ,本件全証拠を検討しても,被控訴人らが,上記のような合理的な経過観察期間を設けた改善指導等を行って,その効果ないし結果を確認したなどの具体的事実は見当たらない。そうすると,被控訴人らは,控訴人に対する具体的な改善指導を行わず,期限の定めのないまま,控訴人をいわば医師の生命ともいうべきすべての臨床担当から外し,その機会を全く与えない状態で雇用を継続したというものであって,およそ正当な雇用形態ということはできず,差別的な意図に基づく処遇であったものと断定せざるを得ない。」と述べています。こうした専門的な仕事に従事する者については,能力がないのであればしかるべき手順をふんで解雇をすればよいのであり,飼い殺しのような扱いはいけないと言っているのです。特に医師のような立場の者は,普通の労働者とは違い,いやなら辞めればよいという気がしないわけではありませんが,やはりそういうことではなく,人事権の行使の適正さが重要で,合理的な裁量を逸脱したものであれば不法行為となるということでしょう。
 このような事例をみると,仕事を与えないという行為は,まずは,いわゆるパワハラのような人事権の濫用の問題として捉えられるわけです(不適切な仕事を与えるという事例と隣接してきます)が,他方,就労請求権論にあるような,仕事をすることについての利益という問題とも関係しますし,さらに医師のように移籍可能性も視野に入れられるような事例では,やはりキャリア権的なものが考慮されてくるかもしれません(なお,キャリア権は,労働市場の弱者層の職業キャリアに焦点をあてた議論ではないのか,という気もしますが,私はそのように限定する必要はないと思っています)。これらが複合する問題であり,就労請求権の議論の前提にある,仕事をすることについての利益や,キャリア権の議論にある職業キャリアに対する利益というものが,人格権侵害の不法行為における損害賠償額にどのように影響するかが今後注目されるところでしょう。本判決は,第1審とは違い,人事権の裁量逸脱というところにとどめず,差別的な意図(人格権侵害の故意と言い換えたほうがよいかもしれません)に基づく人事権の裁量逸脱という点で悪性が強いとした(そのほかにも裁量逸脱とされる行為を広く認めた)うえで,さらに就労請求権的な発想あるいはキャリア権的な発想から,上記の判示部分のように精神的苦痛が大きいとして慰謝料を増額しているように思われます。

|

2012年2月 2日 (木)

第6回文献研究会

 今回は,関西外語大学の篠原信貴君に「雇止め」について報告してもらいました。今回も勉強になりました。聞いていると,東芝柳町工場事件,日立メディコ事件以降,判例の定着にともない,目立った理論的な成果は出ていないような気がしました。最近の議論では,不更新条項の適法性や更新時の労働条件変更(変更解約告知的な雇止め)といった新たな論点が出てきてはいるのですが,これはいわば応用的な問題で,なお基本的な部分の解明の必要性が残っていると思います。よくわからないのは,雇止めが制限されるのは,意思解釈なのか,期待保護なのか,あるいは期間の定めのない契約への(実質的な)転化なのか,です。そして,この制限の根拠と,制限の要件や効果ともリンクしているように思えますが,このあたりの問題をクリアに解決する議論が出てきていないような気がします。
 一方,雇止めの問題は,解雇規制の問題ともリンクしています。しょせんは解雇法理の類推なのですから。そうすると,解雇が制限される根拠論や要件論も視野に入れなければなりません。そのうえで,有期労働契約という契約は何なのかという純理論的な観点と,日本の雇用社会における有期労働契約とは何なのかという実態的な観点をもって,この問題を考えていく必要があると思いました。
 ということで,有期雇用には,今後の研究のネタがいっぱいありそうです。法制定の動きには間に合わないかもしれませんが,基礎的な研究は継続する必要があるでしょう。個人的には,これを採用の自由の制約という観点から,他の類似の問題とあわせて,より包括的な理論的検討ができないかと考えています。

|

2012年2月 1日 (水)

ピース

 樋口有介『ピース』(中公文庫)を読みました。評判が良いのか,悪いのか,わからない本ですが,話題の本のようです。秩父が舞台です。次々とバラバラ死体が出てきて,犯人も同一と思われるのですが,被害者の接点がまったくありません。こういう設定はミステリーによくありがちで,どこかに被害者の接点があるはずです。そして,そこか犯人の動機もわかるのです。ほんとうの舞台は,あるバーです。マスターの八田と常連客たち。その常連の一人が被害者となります。マスターの甥の男性も重要人物です。結局,事件のきっかけは,御巣鷹山の事故なのですが,具体的にはどういうことだったかは読んでのお楽しみです。書名のピースも,どういう意味があったのか。文庫版の絵がヒントです。
 それなりに楽しめたのですが,多くのレビューも言っているように,いろいろに張られていた伏線が,あまり解決していないところは,ちょっと消化不良でした。珍しく何度も読み返してしまいました。あの伏線は,どうなっていたのだろうかと確認するためにです。でも,放置されていてしまったようで,ここのあたりが,この本の評価を分けるところでしょう。
 風景の描写は詳細で,料理の説明も詳しく,そういうところで楽しめた人もいるのでしょうが,私は,あまりそういうところに関心はなく,むしろ伏線のきれいな処理をしてほしかったですね。人間はどうして人を殺すのか,というところについて,もっと突き詰めれそうなところなのに,物足りなさが残りました。それとも,著者にはもっと深い意図があったのでしょうか。 ☆☆
 

|

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »