したがって
阪神がヤクルトに3連勝し,いよいよ追撃態勢に入ったとみてよいでしょうか。私がブログで楽観的なことを書くと,いつも負け出すので,今回はあまり書かないことにします。それにしても今日は小嶋が頑張りました。
それはさておき,早速今日の夜から仕事ムードに戻りまして,学部試験の答案の採点を少し始めたのですが,そこで感じたことがあります。それは,「したがって」の使い方です(前にも書いたような気もしますが)。法的な議論をするときには,自分の意見はきちんと理由を付けて論理的に主張しなければなりません。「したがって」というのは結論を述べるときに,よく使われるフレーズです。法廷において弁護士であれば,本音では多少は無理でも,「したがって」と言って自分の結論を述べる必要があります。弘文堂の演習本には解答例を付ける予定ですが,そこでも解答例の最後は,「したがって」で締める必要があります。それはそうなのですが,「したがって」の前後の内容が離れていると,接続詞だけで論理的な形式を整えているように見せかけるというようなことが起こってしまいます。法廷での主張では,無理を承知しながらもクライアントのために主張せざるをえない,ということはある程度起こりうると思います。私は試験問題において,弁護士のあなたなら,どのように主張しますか,という問題が出すことがありますが,そのときには,ある程度は緩やかに「したがって」を使ってもよいと考えています。ただ,それにも限界があります。無理筋の主張を「したがって」で強引に理屈付けしたりするような答案になると,これは高く評価できません。ましてや,普通の問い(たとえば,「~について論ぜよ」)というようなものについては,きちんと精密な論理でつないで議論を展開してほしいものです。
ところで,今朝,テレビを見ていると,ある有名な数学者がテレビに出て,政治の話などについての自分の考え方を披瀝されていたのですが,そこに「したがって」という言葉が何度か出てきてちょっと違和感を感じました。「したがって」は論理的な印象を与え,説得力を高めるのですが,「したがって」の前後がほんとうに論理的につながっているのか,という疑問が浮かんでくるからです。
春の次の季節は夏である,現在は春である,したがって,次に来る季節は夏である,というくらいの隙のない論理性を見せろとまでは言いませんが,「したがって」というレトリックで論理の曖昧さを補ってはいけないのです。
法的な紛争を解決するためには,事実関係を明確にしたうえで,適用される規範を見つけ出し,その規範を適用するうえで必要な規範の解釈を示したうえで,最終的には,○○の事実には,△△の規範が適用され,「したがって」□□の結論になる,という主張になるはずなのです。試験の答案で,きちんと△△の解釈を示さないまま,「したがって」□□である,という結論を出すようではいけないのです。
ただ,そうは言いながら,法学の議論で,さっきの春と夏の話ほど隙のない論理で議論を展開することは不可能に近いところがあります。どのあたりの緻密さの論理でつないでいくべきかが難しいところです。いずれにせよ,研究者というのも,本能的に,論文の中で「したがって」が出てくると警戒してしまいます。私は騙されませんよ,と。「それゆえ」,「その意味で」,なども同様の要注意言語です。文脈は違いますが,「言うまでもないことだが」,「周知のように」なども同様です。しかし,最近は私もこういう言葉を使うことが増えています。これは知的堕落であり,自戒しなければなりません。
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