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2011年7月

2011年7月31日 (日)

第4回文献研究

 昨日は,前回に引き続き立教大学の竹内寿君が,労組法(不当労働行為法)上の使用者性について報告してくれました。今回も,たいへん勉強になりました。使用者性の問題は,ここでは,労働契約上の使用者以外のどこにまで拡張できるのか,ということが主たるものです。このほかにも,労働契約関係はないが時間的に近接している場合(採用前,退職後)も,どこまで使用者となるかという問題もあります。兵庫県労働委員会が扱った住友ゴム工業事件などは,後者の問題です。どちらも使用者概念の拡張ですが,後者は,主体としての拡張ではないので,議論の仕方は異なるでしょうね(前者の問題を,狭義の使用者概念の拡張問題と呼ぶほうがよいような気がします)。このほかに,不当労働行為後の組織変動があり,不当労働行為の主体と救済命令の名宛人が異なるということがどこまで許されるか(不当労働行為責任の承継),という救済命令の名宛人としての使用者性の問題もあります。竹内君によると,初期の議論は,この問題を,狭義の使用者概念の拡張問題と区別して論じていたが,近年では区別されず混同されているのではないか,ということでした。
 使用者概念については,労働契約関係のあるかどうかを基準にする考え方,支配力説,対向関係説などありますが,今日でも,結局,これらの考え方がベースで,そこに若干のバリエーションをつけているだけというような気もしました。このあたりは,竹内君が最終的に,どう整理するか楽しみです。
 さらに,狭義の使用者概念の拡張問題については,何と言っても,朝日放送事件最高裁判決が重要で,その判決以後は,同判決がどのような類型にまで及ぼされるのかという点が議論の中心になっていると思います。
 また,派遣先の使用者性という問題も,少し議論しました。これまでの学説上の議論はまだ少ない状況であり,たとえば適法な派遣であれば,派遣先に使用者性がおよそ否定されてよいのか,というような点について議論をしました。いずれにせよ,合宿のなかで,静岡大学の本庄淳志君が再度,検討してくれる予定です。
 このほか,労組法7条において,1号と3号のような反組合的意図を問う不当労働行為と,2号のようにそれを問わない不当労働行為とで,使用者性は異なりうるのかも気になるところでした。朝日放送事件最高裁判決は,統一的な使用者概念を立てており,事件自体は2号事件ではありましたが,あの枠組みは,1号や3号も意識したものであるから,どうしても限定的なものとなったという見方もできます。2号の使用者概念を別途に立てることができるという立場でいくと,もう少し広い使用者概念も可能かもしれません。このあたりも議論がまだ不十分なところでしょう。
 私は,使用者性について,さまざまな客観的な事実要素から使用者性を認定していくのか(事実アプローチ),それとも帰責性などの規範的な評価を加えて認定していくのか(規範アプローチ),どちらの方法をとるべきかということについて,少し問題の指摘をしました(以前に黙示の労働契約論について議論をしたときの規範的意思解釈をどこまで許すのか,という点も,やや似た問題です)。具体的に念頭に置いているのは,団体交渉事項について,事実上の支配力や決定力があるということから切り離して,団体交渉に応じる「べき」かどうかを論じることが妥当かという問題です。たとえば,住友ゴム工業事件のような場合に,石綿問題について使用者が一定の責任を負うべきであるかどうかを,団体交渉の使用者性において考慮に入れるかどうかとい点です。あるいは,団体交渉に応じても,譲歩まで強いられるわけではないから,広く使用者性を認めてもよいのでは,という議論も,実は規範アプローチの一種とみることができそうです。私は,事実アプローチが妥当だと思っています。

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2011年7月30日 (土)

編集委員からの引退

 本日の日本労働研究雑誌の編集会議で,私の編集委員の仕事は終わりました。2000年9月から11年近く編集委員をやりました。留学期間が1年あり,任期10年という内規による任期満了です。お世話になりました。第2金曜は東京出張という生活がしっかりしみこんでいたのですが(7月はイレギュラーなのですが),ようやくこれも終わりです。
 当初は特別研究員との併任でした。特別研究員としての仕事も結構あったので,JIL(日本労働研究機構)の一員という気分でいましたが,その後,編集委員だけとなり,それからは,JILやJILPT(労働政策研究研修機構)の一員というよりは,あくまで外部の専門家という位置づけで関わってきたと思います。ある面ではJILやJILPTの応援団でいましたが,一方で,厳しい批判者のつもりでもいました。この組織には良い面もありますし,問題となる面もあります。事業仕分けなどの試練もあり,今後もいろいろな試練があるでしょうが,理事長に山口浩一郎先生が就任されたこともあり,自助努力でいっそう良い組織になっていくだろうと思います。
 かつては新宿のモノリスビルで編集会議をやっていて,終わったあとは,地下の居酒屋で飲むというのが慣行でした。結構大事なことが,居酒屋での話から決まっていくこともありました。私はその頃から,編集会議の日は必ず宿泊してみんなと飲んでいました。宿泊代は出なかったので赤字でしたが。当初の編集担当の奥田さんともずいぶん飲みましたね。懐かしい思い出です。虎ノ門のオフィスに変わってからは,そういう慣行はなくなりました。
 数年前に守島さんや藤村さんが辞められてから,私が最古参になり,「昔はこうだった」というようなことを話す役割になっていきました。その一方で,アイデアはだんだん出なくなっており,まさにちょうど辞め時だったと思います。
 一緒に特別研究員や編集委員をやった人は,みんなそれぞれの分野の大物で活躍されています。私は,現在慶応大学におられる山川隆一さんの後任で入ったのですが,最初にメンバーになったときには,中村圭介さん,佐藤博樹さん,玄田さん,大竹さん,守島さん,佐藤厚さん,藤村さん,荒木さんといったそうそうたるメンバーがいました。前にも書いたことがありますが,編集会議では,それぞれの分野で活躍されている研究者の人と議論をすることができるので,とても勉強になりました。日本労働研究雑誌のような学術雑誌の特集テーマを決めるというのは,とてもアカデミックな作業です。しかも,この雑誌はそれが学際的なものであり,知的刺激を常に受けていました。なかでも個人的には,経済学やHRMとの出会いは,私の視野を広げるのに大いに役立ったと思います。こういう機会が今後なくなってしまうのかと思うと寂しい気がします。編集委員を辞める唯一の心残りといえば,このことです。
 今日の会議では,年間のテーマを決めました。私はもう具体的な編集作業にはタッチできないのですが,なんとなく最後だからと思い,いろいろ意見も言ってしまいました。今後は外部から,日本労働研究雑誌の将来を見守っていきたいと思います。編集が不十分だと思うようなことがあれば,このブログで大いに批判をしてやろうと思っています。というのは嘘ですが,新たに入る竹内君を含め,現在の素晴らしい編集委員で,これからも日本で最も権威のある労働専門雑誌としてのクオリティを維持し続けていかれることを,心より期待しています。
 最後に,これまで一緒に編集委員をした皆さん,日本労働研究雑誌や英文雑誌に携わってこられたJILやJILPTの職員のみなさん(とくに,奥田さんと広渡さん),ほんとうにありがとうございました。

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2011年7月29日 (金)

サマーセミナー

 昨日,神戸大学のサマーセミナーをトップバッターでやってきました。大阪の梅田ゲートタワーというところでやったのですが,ここに神大のオフィスがあるというは初めて知りました。朝は得意ではないことに加え,途中で声が枯れ,鼻がつまって苦しかったりしたのですが,なんとか2時間やり終えました。人数はそれほど集まらなかったのですが,滝井繁男先生や春名一典先生といった高名な弁護士もいらっしゃっていて,質的には十分な聴衆でした。元最高裁判事の滝井先生の前で最高裁判決について述べるというのは,ちょっと不思議な感じがしました。こちらが教えを乞いたいくらいですからね。
 今回のセミナーは,最近の法改正を扱うということだったので,私は労働契約法をとりあげて,この法律の意義と課題,合意原則についての理論的な検討,その他の労働契約法の解釈,立法上の問題などを話しました。全体としてみると,労働者の同意というものをどのように考えるかということを,さまざまな角度から検討したという感じです。
 いつものことですが,原稿を作っていくというのではなく,レジュメに書いている項目に沿って,頭の中で考えながら話すということでしたので,2時間,集中してやりました。
 今回は有斐閣の後援ということで,江草社長,ジュリスト編集長の亀井さん,それから書籍部長の土肥さんも来ておられました。有斐閣の本の出版コーナーが設けられていましたが,私の単著は並んでいませんでした。昔,出した本は絶版なのでしょうね。共著のものは,『雇用社会の法と経済』が並んでいましたが,はやく法学教室で連載したものをまとめなければという気持ちを改めて強くしました。いま5分の1くらいでとまっているので。

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2011年7月28日 (木)

LS期末試験

 火曜日にLSの労働法Ⅰの期末試験をしました。労働法Ⅰは,出題範囲が狭いので,作題に苦労し,例年,似たような論点となります。今年も,1問目は,労働協約の解約後の就業規則の不利益変更という典型論点で出題しましたが,最近の協愛事件判決もふまえて,労働契約法9条の反対解釈に基づく合意による不利益変更の可能性も論じてもらう問題にしています。2問目は,陽子さんという人から弁護士のあなたに相談の手紙が来たという設定で,内容は,雑誌の記者の労働者性についてです。手紙の内容だけでは判断しきれない点について,あなたなら,陽子さんにどういう事実を確認しますか,という問いにしています。
 いままでは凝った問題を出していましたが,今回はオーソドックスな問題にし,基本的な理解がどの程度できているかを問うようにしてみました。どんな答案となっているか楽しみです。
 ちなみに陽子さんという名前に深い意味はないのですが,三島由紀夫の本に出てくるような美しく礼儀正しく高貴な女性を想定し,幼なじみであるのに,非常に丁寧な文章で依頼をするという設定にしたので,それに合うような名前は古風なほうがいいということで,陽子にしました。

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2011年7月27日 (水)

森田初打席ホームラン

 今日から後半戦の開幕です。能見はいまひとつでしたが,当面の敵である中日に勝って,幸先の良いスタートです。首位のヤクルトとはまだ7ゲーム差でずいぶん離されていますが,少しずつ追いかけましょう。来月末に甲子園でヤクルト戦を観る予定なので,そのころには良い勝負になっていればいいですね。
 この日は何と言っても,森田一成でした。和製ブラゼルと呼ばれる大型内野手です。岡山の関西高校出身の4年目で,今日がプロ入り初打席でした。能見の代打で出て,みごと左翼スタンドに弾丸ライナーの同点ホームランでした。思い切りのよい打撃が良かったですね。初打席初ホームランなんていうのは,何かを持っているという感じですかね。
 藤川は5年連続の20セーブで健在。勝投手となった小林宏も徐々に本領を発揮しています。能見,岩田がぴりっとしませんが,オールスターで連投した榎田が中継ぎで健在で,外人二人は先発でそこそこ計算できるので,なんとか勝負に出れる投手陣はそろってきたのかもしれません。
 打者は,マートン,平野は安定していますし,新井も打点を稼いで勝負強さがあり,ブラゼルはまずまずで,今日は決勝3塁打の鳥谷がしっかり活躍し始めると,打撃陣もなんとか勝負に出れるだけの体制となってきたかもしれません。
 もちろん,いまの戦力では,爆発的な連勝ができそうな気はしませんが,とりあえず地道に2勝1敗,横浜と広島にはできれば3連勝というのを続けていってほしいですね。中日にもナゴヤでは,なかなか勝てないので,甲子園では今日のようにしっかり勝っておかなければなりません。
 甲子園といえば,兵庫大会で,報徳学園が,神戸国際大付属に敗れてしまいました。残念でしたが,報徳は,エースの田村がどうも肝心なところでは踏ん張れない問題が,今回も出てしまったようですね。神戸国際大付属は兵庫大会での本命の一つですが,東洋大姫路などの伝統校も残っているので,どうなるでしょうか。次は準決勝です。

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2011年7月26日 (火)

労働協約は約款か?

 たまには理論的に硬派な話をします。先日の商事法務研究会の話の続きです。そこで,労働協約は約款に該当しうるのか,という議論が出てきました。私は不勉強で,こういう論点を知らなかったし,直感的に労働協約が約款なんておかしいのでは,と思ったのです。
 ところが後でよく考えると,私は,かつて書いた『労働条件変更法理の再構成』(1999年,有斐閣)では,労働協約を,それに近いものと構想していたことを思い出したのです。私は,あの頃,労働協約の規範的効力というものに疑問をもっていました。労働協約が,組合員を拘束する理由を特に問わない議論に違和感をもっていたのです。これはイタリアの労働協約論とドイツの労働協約論との比較から出てきた疑問です。ドイツは労働協約は明文で法規範とされていますが,イタリアでは労働協約は単なる契約(集団的契約)とされてきました。特に立法のない日本において労働協約は契約か法規範か。古くからある議論ではありますが,もう一度,こだわったわけです。そこから,私は,労働協約も就業規則も労働者に拘束力をもつ構造は同じだという理論を考えました。それが段階的構造論です。その前提には,どちらも集団的労働条件を規制するという点で同じだという認識があります。そして,労働協約も就業規則も,それが労働契約の中に組み入れられるときには私的自治的正当性が求められ,内容的には集団的規律にふさわしい民主的正当性が求められるとし,集団的規範を個別的に適用される段階では,個別的な事情をふまえた衡平あるいは公正(ドイツのBGB315条のようなもので,Billigkeit)が正当性原理となるとしたのです。このように,集団的労働条件が形成され,それが個別的契約に組み入れられ,さらに具体化していくプロセスを分け,それぞれに独自の正当性原理が妥当するというのが段階的正当性論です。特に大事なのは形成された集団的労働条件を労働契約に組み入れるところで,私は就業規則については契約説に立ち,労働者の個別的同意が必要であるとし,変更のときには変更解約告知でやるべきだとし,労働協約については,組合加入の任意性(加入時に,労働協約を労働契約に組み入れることに包括的に同意している)を重視するという議論を展開したのです。そして,組合加入の任意性を重視することから,ユニオン・ショップに否定的となるという話につながっていきます。詳細は,私の本を読んでいただきたいのです(ユニオン・ショップについては,続編の『労働者代表法制に関する研究』(2007年,有斐閣)を参照)が,いずれにせよ,私は就業規則は,労働者の過半数と使用者との合意,労働協約は労働組合と使用者との合意にすぎず,それはいずれも個別的契約のひな形のようなもの(あるいは,労働条件の基準を設定する契約)なので,改めて当事者の同意があって初めて拘束力が発生するという結論が,私的自治を貫徹するためには必要と述べたのです。この理論は,労働契約法の制定後は,完全に過去のものになったとも思えますが,7条に労働者の組み入れの同意を要件とする解釈(前のブログ)をとれば,また活かせることができますし,10条についても,合理性の判断要素のなかに,せめて変更に反対する個々の労働者の同意を得るべく努力を使用者がしているかどうかという事情を考慮すべきという解釈論を提示できれば,完全ではないにしても,なお私見の発想は活かせるのではないかと思っています。
 ところで私の議論のさらなる特徴は,私的自治的正当性を重視するため,労働者の同意により労働契約に組み入れられた就業規則や労働協約は,それ以上の正当性は不要で,後は集団的規律として必要な民主的正当性さえあれば,それ以上の内容審査は不要という主張につながっている点です。これは学界では評判の悪いところですが,司法審査を行き過ぎたパターナリズムとみて,労使の自治を重視するという私の学説の基本的スタンスにかかわる部分なので,なかなか譲れないところです。就業規則については,労働契約法7条や10条が合理性に言及しているので厳しいですが,それでもなお解釈論で,労働者の過半数の支持があれば合理性を基本的に肯定するというような考え方をとることは可能ではないかと思っています。
 ということで,労働協約や就業規則は,約款的なものであるとしても,私の立場からは,不当条項規制などの内容規制に服するという議論には反対となるのです。
 若いころは,いろいろ詰めて考えていたなと我ながら思いますし,あのころ考えていたことを,日頃はすっかり忘れているいまの自分がちょっと悲しいですね。
 

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2011年7月25日 (月)

聖人

 塩野七生の『ローマ人の物語(40)』(新潮文庫)の続きですが,1年くらい前にこのブログで万聖節のことを書いたと思います。11月1日のOgnissantiなのですが,このことについて,この本のなかに説明が出てきます。ローマ人は,昔は日常のいろんなことについて,それを所管する神(守護神)にお願いをするということをしてきました。夫婦喧嘩にも守護神がいたそうです。ところが,キリスト教は一神教であるので,いろんな神を認めることができません。そこで,アンブロシウスは,新たな守護者として聖人を生み出すことを考えたというのです。守護聖人(Santo patrono)であれば,願いの対象となるが,一神教とは矛盾しないので許容できるわけです。ところが,守護聖人が乱造されて,守護聖人を祝う日が飽和状態になったので,11月1日の聖人をまとめて一括して祝うということにしたというのです。アンブロシウスもミラノの聖人となり,それで,Sant'ambrogio (サンタンブロージョ・聖なるアンブロシウス)の日もあるのです。12月7日です。ちなみに,この日に,ミラノのスカラ座が開幕します。ミラノにとっては大事な日です。
 その翌日の12月8日は,聖母マリア処女懐妊 (Immacolata Concezione)の祝日で,これはイタリア全国共通ですが,ミラノ人は7日に続いて連休になるのです。国民の祝祭日は労働者の休日であり,それに加えて,各地の守護聖人の日は,労働協約上,祝祭日扱い(つまり休日扱い)にされており,しかも有給となっています。

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2011年7月24日 (日)

労働契約法7条と約款規制

 少し前に講演をしたとき,社労士の人から,従業員が就業規則に適用されることに同意をしていない場合でも就業規則を適用できるのか,という質問を受けたことがあります。私はあっさり労働契約法7条があるので,周知と合理性の要件があれば適用できますよ,と答えたのですが,実務感覚からすると,従業員が同意をしてない文書を適用するのには違和感があるということだったのでしょう(契約的感覚)。他方で,就業規則というのは会社の憲法のようなものなので,従業員の同意など関係なく適用されるのは当然,という実務感覚もあるのです(法規範的感覚)。
 ところで債権法改正の議論のなかで出てきている約款規制が,もし就業規則に適用されるとなると,約款については契約に組み入れる際の合意というものが要件とされているので,就業規則についても従業員が労働契約に組み入れるという合意(組入れ合意)がなければならない,ということになりそうです。これは労働契約法7条について,周知以外に,いわば「労働条件は就業規則による」という合意が必要という解釈をとるということであって(あるいは立法論といえるかもしれません),そうなると実務に影響を及ぼす必要があります。少なくとも,先にあげた法規範的感覚からは,ずれることになるのです。
 労働契約法7条において組入れ合意を必要とする解釈とするか,7条に明文で組入れ合意を要件とする法改正をするか,まったく逆に,約款規制は(少なくとも組入れ合意の部分は)就業規則に適用されないとするか,などは議論が分かれるところでしょう。ただ,組入れ合意を要件とする立場であっても,「周知」は現行の7条においてすでに要件となっており,その「周知」は施行通達では,事業場での周知以外に,採用される本人にも周知されなければならないという解釈となっているので,そうした本人への周知がされていれば,組入れについての黙示の同意があるといえるのではないかと思います。したがって,組入れ合意を要件としても,実務上はほとんど影響が出てこないのでしょうが,労働契約法7条が,従業員の同意なしに就業規則が適用されるということを正面から認めるのか,それとも契約法理に忠実に,黙示であれ同意がなければならないとするのか,というところは理論的には重要な問題だと思います。
 昨日の商事法務研究会の雇用研究会では,こうした点を始め,約款規制,事情変更法理などと労働契約法の関係について,かなり突っ込んだ議論をしました。研究会も,そろそろ仕上げの段階に入ってきました。

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2011年7月23日 (土)

ローマ人の物語(40)

 塩野七生の『ローマ人の物語』(新潮社)の文庫版を少しずつ読み続けてきて,ようやく40巻まで来ました。文庫化されているのは,現時点ではここまでです。40巻のタイトルは「キリストの勝利(下)」です。キリスト教によって,ギリシャ・ローマの文化が浸食されていくところが,なんとも読んでいて辛いところですね。ユリアヌスの反動もあるのでしょうが,皇帝がキリスト教を統治に利用しようとしながら,ついにキリスト教に支配されてしまうのは,11世紀のカノッサの屈辱よりもはるか昔の4世紀にテオドシウスが神にひざまづいたところで起きていたのですね。
 この巻では,ミラノ司教アンブロシウスが主役です。彼の力で,キリスト教は皇帝権力に対する完全な優位を確立したようです。もしそれが史実であれば,この人こそ歴史を変えた人物といえるのかもしれません。
 アンブロシウス,イタリア語で言えばアンブロージョ(Ambrogio)は,私にとって身近な名前です。私がミラノに住んでいたとき,よく使っていた駅がサンタンブロージョ(Sant'Ambrogio)だったからです。サンタンブロージョは,「聖なるアンブロシウス」という意味です。駅の近くにサンタンブロージョ聖堂があります。ミラノ最古の教会とされていますが,私も一度だけ中に入ってみましたが,厳粛な感じがして歴史を感じる教会です。ミラノは観光地は多くないのですが,塩野七生のこの40巻を読んからミラノに行けば,サンタンブロージョ聖堂に生きたくなると思いますよ。Duomo などの観光の中心地からそれほど遠くありませんし。

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2011年7月22日 (金)

ミスマッチ(経済教室)

 昨日の日本経済新聞の経済教室で,昨年度,21世紀政策研究所で一緒に仕事をした獨協大学の阿部正浩さんが,「職業訓練の効率性を高めよ」を書いておられました。「資格や前職経験が企業に評価されないということが,企業外での職業訓練の効率性を低下させている可能性がある」という主張です。「他社で培った人的資本を企業が積極的に評価していない」のが日本企業の傾向であり,「企業は自社に有用な特殊熟練を重視しすぎるあまり,労働者が外部で蓄積した知識や能力が有用でも低く評価」されているということのようです。
 私は,日本の企業は,社内での技能蓄積に大きな自信をもっているのでは,という気がしています。その自信がありすぎるため,その反動で,他社やoffJTによる技能蓄積にそれほど信頼を置いていてないのではないでしょうか。もちろん自社に有用な技能のすべてが企業特殊技能であれば,やむを得ない面があるのでしょうが,そうではないでしょう。むしろ汎用性のある技能も企業は必要としており,そういう技能をもつ労働者は,外部で訓練をしておいてもらってから雇用するというほうが訓練コストを節約できてよいはずです。それにもかかわらず,そうなっていないのは,先ほど述べたような,企業が訓練への自信をもちすぎていることの波及的影響があるのではないか,という印象をもっているのです。
 企業が自社での技能訓練に自信をもっているのは,終身雇用慣行のなかで,使えない人材を解雇できず,それを何とか使いこなしていくという必要があり,その中で訓練ノウハウを蓄えたから,と考えることはできないでしょうか。また,そういう実態があるので,判例は,解雇を制限してきたのです。能力不足を理由とする解雇はよほどのことがない限り認められません。裁判所のメッセージは,きちんと訓練せよということです。
 ところで,企業が外部での技能蓄積を信用しないというのも,やはり解雇規制も影響しているのではないかと思います。能力が低くても解雇できないということであれば,やはり自社できちんと訓練を受けた技能しか信用しないということになるでしょう。この問題を解決するためには,試用期間の活用をすることだと思います。試用期間中の解雇は現在の判例上はそれほど容易ではないのですが,これを改めるということです。試用期間をほんとうのお試し期間にするということです(この点は,拙著『雇用社会の25の疑問ー労働法再入門ー(第2版)』(2010年,弘文堂)の第9話「会社は,試用期間において,本当に雇用を試すことができるか」を参照)。
 最初の3カ月から6カ月くらい雇ってみて企業が期待する技能水準に達していなかったら解雇するということができれば,企業も積極的に中途採用して,転職も容易となるでしょう。そして,そうなると,意外に外部の訓練も使えるということを企業が発見するようになり,実は解雇ということはそんなに起こらない,ということにもなるような気がします。

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2011年7月21日 (木)

エマニエル夫人

 先日,ふとしたことから「エマニエル夫人」という言葉が出てきたのですが,若い人には通用しませんでした。僕たちの世代が若い頃「エマニエル夫人」という言葉に抱いた何とも言えないエロチックで淫靡な感覚を若い世代と共有できないのは,なんとも残念なことです。「エマニエル夫人のテーマ」などは,いまでもメロディーを口ずさんでしまうことがありますよね。エマニエルは,正確にはエマニュエル(Emmanuelle)で,映画のタイトルもそうです。これは,シルビア・クリステルのための映画だったですね。シルビアは実に可憐なのに,エロチックで,このコンビネーションがたまらない魅力でした。
 この映画ではレズシーンもありますし,自慰シーンも何度も出てきたと記憶していますが,衝撃的なインパクトを残しているのは飛行機内セックスです。男なら誰もがやってみたいという願望をもっているでしょう。エマニエル夫人で最も印象的なところは何かと聞かれたら,このシーンかもしれません。機内セックス禁止というところもありますが,普通に考えたら,あの狭いところではちょっと無理で,後で身体が痛くなりそうですね。
 当時はこれはポルノ映画でしたが,女性で観ていた人も多かったと思います。今の感覚からすると,ポルノとしてはかなりソフトなもので,ちょっと過激で美しい映像の恋愛物という感じかもしれません。でも,シルビアはレイプされるし,格闘の勝者の戦利品にもされてしまうなど,ハードなところもあります。冷静に考えると,女性蔑視も甚だしいと思います。ついでにいうと,タイという未開地に住む高貴な白人夫婦というような設定で,フランス的なアジアに対する目線があり,これも不愉快に思う人がいるかもしれません。
 いずれにせよ,あまり表だって言われてはいないと思いますが,この映画は,僕たちの世代に,女性観も含めて多大な影響を実は及ぼしているのではないか,という気がしてきました。

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2011年7月20日 (水)

夏 

 先週の日曜は,宵山の翌日で,ワーキング・ディナーのために京都に行ってきました。おいしいイタリアンを食べながら激しい議論をしてきたのですが,その内容はともかく,ここで書きたいのは,三宮⇒梅田⇒四条烏丸と阪急電車で行く途中でのあまりにもの暑さです。いつも書いているように私はたいへんな汗かきで,暑いと体調がおかしくなります。弱冷房車は避けたのですが,16時半から18時の時間帯で,西日が直接入ってくる時間でしたので,通常の冷房車の車内もとても暑かったです。みんなが汗をかいているわけではなかったですが,温度はおそらく30度近かったでしょう。ドアが開くたびに入ってくる風が心地良いくらいで,もうちょっと車内を冷やしてもらえないかと思いました。1時間半近くの特急での移動でしたが,ちょっと阪急はつらいです。今週も京都に行く用事がありますが,今度はJRにします。とにかく停車駅が少ない列車は,温度の調整について弾力的に対処してもらいたいです。熱中症の危険もほんとうにあるのではないでしょうか。
 そして今日は台風です。朝方涼しいと思ったのですが,雨と風は強かったです。午前中,会議のために大学に行きましたが,暴風雨警報が出たため,午後の3限のLSの講義は休講となってしまいました。生徒も大学にいたでしょうから,講義をやってもよかったのにと思いますが,ルール上,強制休講です。もう試験前に補講する時間がありません。試験後の補講という変則的なことになってしまいそうです。自然現象だから仕方ないのですが,ほんとうに困ったものです。
 こんなふうにブツブツ言っていますが,夏は暑いものですし,日本にいる以上,台風は避けられないのですから,私たち人間は,おとなしく自然に逆らわず,なんとか堪えきるしかないのでしょう。

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2011年7月19日 (火)

なでしこジャパン

今日は,なでしこジャパンの優勝で日本中で歓喜の声が上がりました。女子サッカーのワールドカップは,最初は全く関心をもっていませんでしたが,決勝トーナメントに入りドイツに勝ってからは盛り上がりました。私と同様,そこから関心をもった人も多いでしょう。これまでアメリカ戦には一度も勝ったことがなかったそうですが,なんとこの大一番で初勝利をおさめました。PK戦になりましたが,二度にわたり追いついた勢いが残っていましたね。キーパーのスーパーセーブも感動的でした。
 男子のW杯のイタリアなどは,1次リーグではぎりぎり2位通過で,決勝トーナメントに入って勢いを付けて頂点にというようなこともありました。なでしこも1次リーグでイングランドに敗れましたが,ドイツを接戦で制してからは,勢いがついたみたいですね。ドイツには勝ったことがなかったですし,地元でしたから,圧倒的に不利な状況でした。そこで勝ったことで流れが変わりましたね。スウェーデン戦は完勝でした。
 沢という頼りになるエースがいたことも大きかったです。男子チームにも,こういう強い選手がいてくれたらと思いますが,どうでしょうか。体格的にハンディがある日本チームが勝ち上がっていくための大きなヒントが,今回のなでしこの戦い方にあるような気もします。
 なでしこが,このまま世界の強豪チームでい続けることができるかどうかは何とも言えませんが,しばらくはこの歴史的快挙に酔っていたい気分です。

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2011年7月18日 (月)

カインの末裔

 旧約聖書に出てくるカインとアベルの物語に関心をもち,人類最初の殺人者とされるカインとその末裔である人類のことを描いた本がないかと思い,有島武郎の本を読んでみることにしました。『カインの末裔』(角川文庫)です。もっとも,有島の本は,旧約聖書とは直接の関係がありません。無知ゆえに粗暴な人生を送る仁左右衛門。酒と暴力に明け暮れて,村の掟に従わない小作人でした。仁左衛門には,赤ん坊を失ったり,大事にしていた馬をアクシデントで骨折させてしまうなどの不幸もつきまとい,これを逆恨みをして,ますます村人から離れて孤立化しますし,さらに,愛人の子を殴るなどして愛人も離れていきます。ハチャメチャな人生で,結局,村から出て元の流浪の民になってしまうという話です。
 知性も財産もなく,本能のおもむくままに,社会の底辺にはいつくばっていきていく男とそれにただついていくしなかい妻,北海道の厳しい気候がいっそう彼らを追い詰めます。有島は,これによって何を語ろうとしたのでしょうか。人間というのは「自然」の厳しさを克服するために,村を作り助け合って生活していくということが求められるのですが,それがどうしてもできずに「自然」な人間のままで生きてしまい,結局,人間としての生活になじめなかった仁左右衛門は,ある意味では素直な人間であったということでしょうか。
 この本には,その他にも,社会の弱者に目線をあてる短編がいくつか掲載されていますが,そうしたタイプのもの以外にも,たとえば,妻の死因について院長の判断に納得できない夫が,妻の死体の解剖を兄の反対を押し切って行った話である「実験室」は,科学者としての知の道と人間としての情の関係を描いた秀作だと思いました。また,子がアクシデントに巻き込まれて牛乳瓶を大量に壊してしまったときに,その状況を目撃しておきながら,その場から去り,子を救おうとしなかった男の話である「卑怯者」は,人間の弱さを抉りとるように描いています。農場主となった父と,その父からその後継者とされているものの,父のやり方に反発する息子との関係を描いた「親子」は,父子関係はどういうものかを考えさせるものです。 ☆☆

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2011年7月17日 (日)

血液型と性格

 松本前復興大臣が辞任したときに,「B型なので短絡的」と発言したそうで,それが話題になっています。血液型で性格を論じるなんて,まったく非科学的と欧米人からは呆れられているそうです。日本でも少なからず,そう思われているでしょう。そうかもしれませんが,私はけっこう信じているのです。A型はきまじめで細かいというようなところは,かなりあたっていると思いますが,偶然でしょうか。私の血液型は誰がどう考えてもA型ではないわけです。もちろん,A型やB型にも,AA,BBとAO,BOがいるので,そこには違いがあるかもしれませんが。
 冷静に考えると,これは一種の「信仰」であって,私も科学的と考えているわけではありません。よく酒の席では,みんなの血液型のあてっこをして,あんまりあたらないので,当てにならないことはそこからも明らかでしょう。でも,たとえば,ある人がA型だと知ると,確かにそういう面もあるね,とか変に納得してしまい,そのことが,逆にその人への「偏見」を引き起こすということになっている面もありそうです。
 ただ,関西人ならおしゃべり,九州男児は男尊女卑,東北人は無口が我慢強い,東京は実は田舎者の集まりなんていう決めつけは,それが個人への偏見を引き起こしているにもかかわらず,実は多くの人はそういうことを知らぬ間に考えて人を評価しているのであって,そうなると血液型信仰だって,あってもいいのかなという気もしています。
 まあ大事なのは,輸血のときに間違えないということなのですが・・・。
   

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2011年7月16日 (土)

判例六法の編集会議

 有斐閣の判例六法の編集会議を有斐閣でやってきました。東京大学の荒木尚志さんと水町勇一郎さんと一緒です。判例のセレクションはなかなか難しいですし,それをどうまとめるのかは,かなり頭を使う作業です。有斐閣から毎年出される重要判例解説に掲載されているものでも,当然には判例六法に掲載されるわけでありません。これまでも三人でかなり突っ込んだ議論をしながらセレクションをしてきているので,現在の判例六法(professional)も,それなりのクオリティを維持しているのではないかと思っています。判例というものは,どういうものが重要なのかは,決して一義的明確ではなく,その判断は実はすぐれて理論的な作業だと思います。
 特に悩ましいのは,最高裁判決について,一般論を展開せずに事例判断しかしていないものをどう扱うべきか,あるいは下級審のなかで従来論じられていないような判断をした判決だが,理論的にいささか問題があるようなものをどう扱うか,という点です。最高裁判決については,今回は,いつも出てくる労組法3条に関係する最高裁の二判決,競業避止義務に関する三佳テック事件(三佳は「みよし」と読むようです),解雇と不法行為に関する小野リース事件(「前審」の解釈との関係では,すでに民事訴訟法23条のところに掲載ずみ)あたりが議論となりました。後者については,管理監督者の該当性に関する東京地裁の裁判例や事業場外労働に関する阪急トラベルサポート事件の3判決などが議論となりました。
 判例六法に収録してしまうと,良い判例と速断されてしまう危険もあるので,それをふまえた慎重な選別をしています。解釈が分かれそうな論点については,それぞれ異なる趣旨の裁判例を併記するようにしているので,この点も読者は注意してみてもらいたいと思います。
  

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2011年7月15日 (金)

昨日の労働法ゼミ

ゼミコンパ
 今学期最後のゼミを終えました。今回は就労形態の多様化を考えるというテーマで,具体的には,労働者概念について議論をしました。『雇用社会の25の疑問ー労働法再入門(第2版)』(弘文堂)の第14話(労働法は誰に適用されるのか),『雇用はなぜ壊れたのか』(ちくま新書)の第11章(雇用と自営)を素材として,誰が労働者として保護されるべきなのか,ということについて,自由な視点で議論をしてもらいました。学生の多くは,労働者概念を狭くとらえることには否定的でした。指揮監督を受けているものを広く労働者とみるべきとする見解,経済的な従属性があれば広く労働者とみるべきとする見解あるいは交渉力格差があったり,相手方が事実上一方的な労働条件決定をしている状態があれば労働者とする見解,働いている人はすべて労働者としたうえで,他人を雇っているなど事業者性がある者は除くとする見解,他人の利益のために労務を提供する人はすべて労働者であるとする見解,ハイリターンの可能性のある働き方をしている限り労働者性は否定されるべきとする見解などが出ました。どれも決め手となるものではありませんが,労働者は誰かという雲を摑むような話について,必死に解決を模索する姿勢は重要であったと思います。
 一つ面白かった見解は,従属性⇒労働者,自由⇒自営業者という図式に疑問を提示し,従属的な状態で働いている労働者にこそ自由があり,自営業者は利益のために働き続けていなければならないので,自営業者こそ要保護性があるのではないか,というものです。これは要するに,労働法が発達して保護が必要となくなってきたのに対して,自営業者は保護から取り残されているのであり,保護を奪う根拠となる「非従属性」というものは,実質的にみるとないのではないか,という主張だと思います。
 また請負契約は,その性質上,結果に対するリスクを働き手のほうが負い,雇用契約は,労働に従事しさえすればよく,結果に対するリスクを負わないという点では,雇用契約のほうが保護の必要性が低いのではないか,という点についても議論しました。
 ただ,労働者の従属性は,労働に従事して働くということ,つまり指揮命令下で働くという点にあるのであり,それは自らの裁量の広い請負にはない特徴であって,やはりこうした点で雇用契約のほうが要保護性があるという話にもなってきたのですが,労働者には辞める自由があるということを考えると,その従属性というものを強調できるのだろうか,という話にもなりました。
 そうなると,辞める自由がどこまで実質的にあるのか,あるいは就労についての諾否の自由がどこまで実質的なものかも重要で,生活のためにある会社に対して労務を提供し続けざるを得ないという状況があれば,労働者性を肯定してよいのでは,という意見も出てきました。こういう観点からすると,INXAメンテナンス事件の最高裁判決のほうが高裁判決よりも説得力があることになります。
 最後に,そもそも労働者と非労働者とで,保護がオールオアナッシングとなっているところに問題があるとして,自営業者にも一定の保護を認める立法をすれば,労働者性の有無はそれほど深刻な問題とならないのでは,という意見も出てきました。
 労働者性は,私にとっても重要な研究分野であり,議論を面白く誘導できたのではないかと思います。学生も,労働法の議論の難しさと面白さを十分に感じてもらえたのではないかと思っています。
 夜は,ゼミコンパで,安い居酒屋に連れて行かれましたが,楽しんできました。3年生も堅さがとれて,個性が出てきて,キャラも少しずつ確立してきました。4年生は成長して,立派な先輩になっています。
 今年は学部講義をしているので,3年生のゼミ生の多くは,私の労働法の講義を受講しています。ゼミ生だからといって特に優遇することがないのは当然のことですが,むしろゼミ生なのだから,しっかり良い答案を書くようにとプレッシャーをかけると,みんなビビっていました。 

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2011年7月14日 (木)

サマーセミナー

そろそろ講義が終わりに近づき,教員としては,かなりへばりながらも,なんとかゴールに向けてラストスパートをかけているという感じです。この時期,学生は,試験が頭にちらついているでしょう。この酷暑の中での期末試験はきついと思いますが,学生たちには頑張ってもらいたいですね。互いに苦しいこの時期が過ぎると,やっと夏休みになります。
 昔は教員にはほんとうに長い夏休みがありましたが,いまはほとんどありません。どっちにしても,私はほとんど研究室に来て仕事をしていますので,あまり関係ないのですが,授業がないだけでもずいぶん楽になります。研究や執筆に専念できます。
 東大が秋入学を始めるという記事が出ていましたが,そうなると全国の大学がそうなっていくでしょうね。夏休みの過ごし方はどう変わっていくでしょうか。イタリアでは,昔は5月の終わりから6月の初めくらいで学期が終わり,新学期は11月くらいでしたが,さすがに今はもう少し長くやっています。でも夏休みが長いのは羨ましいです。私たちも,祝日があっても授業回数が減らないというのであれば,祝日にも授業をやることにして,夏休みを長くするというほうが有り難いかもしれません。
 今年は,講義が終わっても,私にはもう一つ講義が残っています。神戸大学大学院法学研究科で,今年の夏,初めての試みとして教員が外部の人に向けてサマーセミナーを開催します。公開講座というのは,これまでやったことがありますが,専門家を対象にしたものは初めてではないかと思います(私の記憶違いかもしれませんが)し,少なくとも,私がやるのは初めてです。最近の立法の動きなどを,労働法,独禁法,知的財産法,民法の教員が解説し,理論的な検討を行います。私は,労働契約法に関することを中心に話す予定です。大学教員の生の講義を聴いてみたいと思う人は,ぜひ問い合わせてみてください。7月28日と29日の開催で,私は28日のトップで登場します。科目毎の受講も可能です。
 http://www.law.kobe-u.ac.jp/info/20110624a1.pdf

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2011年7月13日 (水)

ストライキ権の享有主体

 労組法上の労働者に関する話の続きですが,イタリアでは,労組法上の労働者性というような形での議論は存在していません。そもそも体系的な労働組合法がないこともあります。また,労働者(lavoratore)というとき,個別法や団体法で区別をせずに議論をしているのであり,それは当然のこととされていると思います。そして主として論じられているのは,個別法上の労働者性です。日本のように労働者の定義が,それぞれの法律で独自にあるからこそ,両者を区別した議論が出てくるのでしょう。
 団体法の労働者性について問題となりうるとすれば,それは,ストライキ権の享有主体がどうなるのかという形となります。イタリアでは,憲法上,団体行動権や団体交渉権が保障されているわけではなく,単にストライキ権のみが保障されています(39条)。そこで,ストライキ権を行使しうるのは,誰であるのかが問われることになり,特に問題となるのは,準従属労働者についてです。イタリアでは,労働者というのは従属労働者(lavoratore subordinato)であり,独立労働者(lavoratore autonomo)は非労働者です。ただ,その中間に,準従属労働者(lavoratore parasubordinato)という概念があり,本来は,独立労働者でありながら,実態として経済的従属性があるということで,従属労働者に対する保護が一部拡充されているのです。そして,学説上は,準従属労働者にも,ストライキ権を認める見解が有力です。ということは,日本風に言うと,個人事業者の中でも,準従属性があれば,ストライキ権との関係では,労働者と認められるということです。準従属性とは,発注者と,継続的に,連携して,協働することとされています。継続的連携というのは,先の最高裁二判決にいうところの,必要不可欠な労働力として事業組織に組み入れられているという要素と近いものがあるような気もします。時間があれば,この点についてのイタリアの判例を調べて,比較法の論文を書きたいところですが,どうにもこうにも時間がありません。

 イタリアのストライキ規制などについては,拙著『イタリアの労働と法ー伝統と改革のハーモニー』(2003年,日本労働研究機構)を参照してください。とはいえ,この本は入手は困難となっていると思います。私のところに余部があるので,送料さえ負担していただければお送りすることは可能です。ただ,まずは,日本労働研究機構から組織替えとなっている労働政策研究・研修機構(JILPT)にも余部があるかもしれないので,まずはそちらに問い合わせてみてください。

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2011年7月12日 (火)

第63回神戸労働法研究会(その2)

同志社大学のD3の山本陽大君が,例の労組法上の労働者性に関する4月12日の最高裁二判決(新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件)の報告をしてくれました。これも充実した報告だったと思います。すでに,この二判決は,このブログで速報的にも簡単に紹介しましたが,山本君による精密な分析で,いろいろ勉強になりました。CBC管弦楽団事件・最高裁判決,中労委のソクハイ事件命令,有力な学説との関係などについて,いろいろ考えさせられました。
  私がこの判決で気になったのは,最高裁の結論部分において,相手方の使用者との関係で労組法上の労働者性を認めるという点です。これは,労組法上の労働者性(3条)がそれ自体,独立して確定されうるものなのか,あくまである使用者との関係でのみ労働者性というのは確定されるものなのか,という点とかかわっています。失業者などを考えると,前者のような気もしますが,実は失業者も,それだけでは労働者性を認められるものではなく,特定の使用者との関係性が出てきたところで,労働者性をもつようになるのではないか,という気もします。
 特定の使用者との関係性というと,やはり使用従属性が気になります。労基法上の労働者と労組法上の労働者とは本当に違うのだろうか,目的論的アプローチをするとしても,本当に両者の本質に差があるのだろうか,という議論も,またまたやりました。なかなか出口が見つかりません。
 この二判決は事例判断をしたもので,ここから抽象的な規範を導き出すのは困難ですが,もう一つ残されている事件であるビクターサービスエンジニアリング事件のような個人代行店の事案ではどうなるでしょうか。労働条件の集合的・定型的・一方的な決定という要素のうち,集合的という要素が欠けているとき,どう判断されるのでしょうかね。
 集合的決定という要素は,団体交渉の必要性や適切性を考えるうえで意味のある基準ともいえますが,実質個別紛争を認めるとしている以上,集合的決定という要素を強調することは適切でないことになります。端的に,一方的決定という点に着目し,労働条件についての交渉力の格差をメルクマールとするということもありえ,そのような意見も研究会で出ました。ただ,こうなると基準があまりにも不明確となります。むしろ,労働組合が組織範囲に含めていて,その労働条件について団体交渉しようとしている者であれば,広く労組法上の労働者としてよいのではないか,というところまで議論が拡がっていきました。団体交渉拒否の不当労働行為性は,7条2号の雇用する労働者かどうかの使用者性のところで判断するのです。これは労組法上の労働者性に関する主観説とでもいうべきもので,まったくオリジナルな発想です。どことなく,争議行為の定義について,労働組合が争議行為として宣言したものが争議行為となるという山口浩一郎先生の「争議行為綺論三則」を想起させるようなものですね。
 私は,これとはやや性格が違いますが,主観説的なアプローチじたいは,すでに個別法の労働者概念でも提示していますし(「従属労働者と自営業者の均衡を求めて-労働保護法の再構成のための一つの試み」『中嶋士元也先生還暦記念論集 労働関係法の現代的展開』47-69頁(信山社,2004年)),労働時間概念についても二分説の可能性について,講演などでは話したりしていますし,管理監督者概念についても,労使協定で決める可能性を,書いたりもしています。客観的な法適用対象の決定というドグマから解き放たれた自由な発想で,新たな学説の構築を目指していくのは知的にスリリングなことで,神戸労働法研究会では,こうした自由な議論をやっています。

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2011年7月11日 (月)

第63回神戸労働法研究会(その1)

 今回は,まず静岡大学の本庄淳志君が,「震災と労働法-法律学でできること」について報告してくれました。法学教室に書くということなので,ついでに研究会でも報告してもらいました。震災固有の問題というのもあるのでしょうが,労働法の一般的な解釈論の応用編になるのだろうなという印象を受けました(なお,本庄君の担当は,労働市場ではなく,労働条件関係だったので,報告でも労働市場や雇用政策のようなことは扱いませんでした)。とはいえ,その論点は決して少なくありません。本庄君には関連する論点を広く検討してもらいました。特に重要と思えたのは,震災により操業短縮することになったときの労働時間の短縮は可能か,賃金の変更を伴う場合はどうか,そもそも操業短縮のときに賃金を支払わなくてもよいのか,危険負担の法理のときの帰責事由はどうなるか,休業手当はどうか,雇止めや解雇はどこまで認められるか,労災の業務起因性は認められるか,通勤災害はどうか,行方不明の従業員に対する解雇その他の意思表示はどうすべきか,といった点です。
 私は,個人的には,今回の震災後の対応について,未曾有の国難だから通常の解釈は停止すべきだという見解がよいとは思いません。たとえば,休業手当の帰責事由を広く認めたり,業務起因性を広く認めたりするというようなことには,あまり賛成できません。やはり,これは政府が税金を投入して,所得保障や休業補償をするという方法で対処していくべきだと思っています。政府が頼りにならないということもあるかもしれませんが,もしほんとうにそうなら,早くそういう政府には変わってもらうしかありません。企業も痛んでいるわけですから,労働者の論理だけを貫徹させるべきではなく,こんなときこそ頼りになる政府になってもらいたいわけです。
 また,震災と直接的に関係するのではないのですが,一般的な論点として,研究会で議論となったのは,またまた労契法16条と17条の関係です。有期雇用の場合の中途解除は17条で,雇止めにおいて判例の雇止め制限法理が適用されるときは16条の類推適用となるわけで,17条のほうが要件が厳しいと考えられています。このとき,何度も反復更新されているような場合を考えると,中途解除のときの17条の要件が緩和してくるのではないか,という問題提起がなされて,みんなでいろんな議論をしました。私は直感的には緩和してくるという見解が正しいのでは,と思いましたが,研究会では緩和しないという見解も有力でした。少なくとも,実質的に期間の定めのない契約になっているというような場合だと,その打ち切りは中途解除の場合であっても,緩やかに認めてよいような気がしますが,そうなると,反復更新すればするほど,中途解除だけをみると容易になるということになり,変な結論のような気もします。このほかにも,雇止めについては,いくつかの論点について議論しました。
 前回の変更解約告知の事例もそうですが,有期雇用については,この研究会でも議論がだいぶん蓄積してきたような気もするので,研究会のメンバーから,大きくブレイクスルーするような解釈論を展開する論文が出てきてほしいなという気もしています。私も引退しているわけではないので,時間を見つけ,何か閃きがあれば,チャレンジしてみたいと思っています。

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2011年7月10日 (日)

tante belle cose

 先日,テレビでルガーノ(Lugano)が紹介されていました。2度ほど行ったことがあります。スイスですが,イタリア語が通じます。ユーロ(Euro)の導入前は,リラ(Lira)で支払うこともできました。とても美しい町でした。ミラノから一番行きやすい外国でしょう。ちなみに,イタリア国内に,San Marino という外国もあります。これは,イタリアとの区別はまったく付きません。国境もはっきりしません。Rimini 駅からバスに乗って山のほうに上がっていくと到着します。San Marino は確か切手で有名で,切手を買った覚えがあります。どこかにいってしまいましたが。また,Rimini も良い町です。夏に若者が集まってにぎわう海の町というイメージです。
 ルガーノに話しを戻すと,テレビに出ていたイタリア人が,インタビュアーに,最後にtante belle cose(タンテ・ベッレ・コーゼ)と言っていました。私はあまり使いませんが,ときどき聞くことがあります。直訳すると,「多くのすばらしいこと」というような感じです。belle は「美しい」の女性複数形ですが,外観的な美的な意味だけでなく,素晴らしいとかいうようなときにも使っています。あの論文は素晴らしいというときにも,bello という言葉を使います。それで,tante belle cose は,「あなたにたくさんの良いことがあることを祈ります」というようなニュアンスだと思います。僕は,こういうイタリア人の挨拶はとても素敵だと思います。
 ほかにも,欧米で共通に使うと思われる同様の表現に,これから仕事に行くときには,「buon lavoro」(良い仕事を),旅に出るときには,「buon viaggio」(よい旅を),食事の初めは「buon appetito」(いただきます),コーヒーを飲みに行くときは,「buon caffe')と声をかけますね。「buona fine settimana」(よい週末を)というのもあります。
 「こんにちわ」を意味するBuongiorno や Buonasera(後者は,「こんばんわ」という感じですが,午後の割と早い時間から,ミラノではこの表現を使っていたので,日本語にすると「こんにちわ」の意味もあることになります)も,「良い一日を祈ります」とか「良い夜を祈ります」というような意味でしょう。ところで,Buongiorno や Buonaseraは,イタリアでは,出会ったときだけでなく,別れるときにも使います。たとえば,エレベーターに乗り込んだときにはBuongiorno ,また出て行くときにも,Buongirono です。同じ表現では芸がないと思えば,別れるときは,同じ意味のBuona giornata なんて言ったりもします。そこでフランスでも同じように使うのかと思ったのですが,ニースでもパリでも,別れるときに,Bonjour とかBonsoir とかは使わないようでした。私が言うと変な顔をしていましたし,誰も言っていなかったので。フランスでは言わないのでしょうかね。

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2011年7月 9日 (土)

愛国

 昨日のゼミの話の続きですが,学生のなかに,公務員の数をこれ以上減らすのには反対という意見がありました。国のことを考えてくれる人は一定数以上いなければいけないというのが,その理由です。国家公務員のみんなが国のことを考えてくれているのかどうかは何ともいえませんが,本来は,そういう人以外は国家公務員になるべきではないということなのかもしれません。 公務員は,私たちの税金で給料をもらっているということによる制約があるという意見もありますが,私たちがやるべきことをやってくれているという面があることを考えると,税金で給料をもらっているのは当然です。あまり安い給料にすると,良い人材が集まらないので,公務員がもっと給料をもらってもよいと思います。むしろ税金について気にすべきなのは,税金を使って行っている仕事がきちんとなされているのかどうかです。税金を良からぬ方向に使っていることがあるとすると,それこそ大問題といえるでしょう。とりわけ自分の属する組織の利益(省益など)のために税金を使うとなると,それは許せないことです。
 もっとも,それも長い目で見て国益にかなっていれば良いともいえます。ほんとうは,エリート公務員には,ある程度の裁量と権限を与えて,国益を考えて行動してもらうということはあってもよいと思います。そこで重要なのは愛国心でしょう。愛国心のない公務員は有害無益です。自国のことをほんとうに愛する公務員でなければ,少なくとも国際的な舞台には出ていってもらっては困ると思います。ただ,愛国心をどのように測るかは難しい問題です。国旗の掲揚や君が代の斉唱をしているから良いというものではありません。
 国のことを真に愛し身を粉にして頑張っているから,私たちもその給料のために喜んで税金を支払うというのが,望ましい姿です。ゼミ生が言っていたことも,そんな公務員はある程度いてもらわなければ困るわけで,ただ国家財政のために数を減らせばよいとか,給料を下げればよいよいというのではないということでしょう。

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2011年7月 8日 (金)

昨日の労働法ゼミ

 昨日は七夕でしたが,あいにくの雨でしたね。今学期のゼミもあと2回となりました。今回のテーマは,公務員です。これも毎年やっているテーマで,拙著『雇用社会の25の疑問(第2版)』(2010年,弘文堂)の第17章を素材として議論しました。今年も,公務員の特殊性というのは何であるかという点の議論がもりあがりました。公務員というステイタスを与えなければできない仕事というのは何であろうか,という原点に立ち返り,そうしたところから考えて,公務員の勤務関係の特殊性を考えていくべきというアプローチで考えていったのですが,難しい議論となりました。
 公務員はどうしてたたかれやすいのか,とことも議論しました。楽な仕事をしながら,国民の払っている税金で高い給料をもらっているというイメージがある,ということのようですが,他方で,営利目的ではなく,人がやりたがらないようなことを,国民や住民のためにやるという辛い仕事をしているのであり,ある程度の安定と待遇があるのは当然であるという主張もありました。公務員の仕事の非効率性は改善の余地があるものの,あまりに公務員たたきをするのは適切ではないという意見もありました。
 公務員の身分保障との関係では,公務員となることがほんとうに安定を与えてくるのか,という点も議論しました。安定を根拠づける要素を考えていくと,雇用の安定,賃金の安定が最大の要素でしょうが,よく見ていくと,今日,必ずしもそれが盤石ではないことがわかります。ただ,地方公務員をみると,いわば正社員でありながら原則として転勤がないという点は大きなメリットかもしれません。学生のなかには,安定が魅力で公務員志望となる者も多いのですが,実は地元志向で故郷で安定した生活を送りながら故郷のために働きたいという希望をもつ者もかなりいるようでした。
 いずれにせよ,自律的労使関係制度の構築や震災後の公務員の給料カットのこともふまえると,公務員の賃金の安定というのは今後,どうなっていくかわかりませんし,戦う手段である争議権が奪われていることの意味を今一度考えるときに来ているのかもしれません。
 昨日は,ゼミ生の数人から内定(内々定)をもらったという報告を受けました。ほっとしました。公務員志望のゼミ生も多いです。これから本番ですね。公務員となることの意味を,ゼミをきっかけに考えてもらえればいいのですが。

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2011年7月 7日 (木)

日本中枢の崩壊

 古賀茂明氏は,この『日本中枢の崩壊』(講談社)を出版したために,民主党の逆鱗に触れ,退職を勧告されていると先日の新聞で報道されていました。ちょっとした話題の人です。経済産業省の官僚ですが,現在は閑職(大臣官房付)にいます。よくある官僚の暴露本かと思いましたが,この人はかなり本気で改革を考えているように思えました。官僚組織の内幕の細かいことは,一般人にはわかりにくいところで,官僚に特に関心をもっていない私には面白くありませんでしたし,官僚の行動パターンやメンタリティについて批判している内容はよく知られているところで,特に新鮮ではありませんでした。

 よく考えると私はここ数年,国家公務員とのつきあいがないことに気づきました。昔は,政府関係の仕事もちょこちょこありましたが,いまはそれもすっかりなくなり,官僚に対するシンパシーももうなくなっています。もともと役人の行動パターンとか発想にどうも親しめないのですが,組織防衛の意識が強すぎて,隙を見せないようにするというところが,性に合わないのです。個人的には,良い人が多いのに,とても残念です。ただ,霞ヶ関にも,ときどき,霞ヶ関的な行動や発想に合わない人が出てきて,そういうときに,こういう本が出てくるのでしょうね。定期的に発生する現象かもしれませんが,必要なことでもあると思います。

 この本で個人的に関心をもったのは,持株会社解禁のときの公正取引委員会との戦いやクレジットカード偽造の刑法犯化のときの法務省との戦いのように,古賀氏が具体的に扱った問題についてのことが書かれている部分です。なるほど,こういうようにして法律ができていくのかと勉強になりました。
 古賀氏の具体的な政策提言についても,なるほどと思うところが多かったです。農業,年金,医療など,すでに言われている内容と重なるところもありますが,書かれている内容に共感するところも多かったです。困っていると声を上げた人に答えていくのが政治ではなく,ほんとうに困っている人の手をさしのべる人を選別して助けることが大事であるという主張は,労働法と社会保障法の問題を考えていくうえでも重要な視点だと思います。
 民主党としては,政権への失望と批判は,面白くないところでしょう。橋本龍太郎の政治主導や小泉純一郎のリーダーシップなどを賛美する点については,批判もあるでしょう。ただ,官僚だからこそ持っている独自の視点というのは,やはり重要です。官僚人生を捨ててまでして(?)書かれた本ですし,現政権の問題点が次々と出てくるなかでは,この本を書かれている内容が一定の説得力をもっていることも事実なのでしょう。文章も読みやすかったです。ただ,トータルとしては,それほどのインパクトを感じなかったので,☆☆

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2011年7月 6日 (水)

パナソニックプラズマディスプレイ事件(LS講義)

 本日のLS講義は,労働者派遣制度の説明を簡単にした後は,パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件の最高裁判決を扱うだけで,終わってしまいました。新しい最高裁判決ということもありましたが,高裁判決と対比して,労働法学の議論の特徴を理解してもらいたかったわけです。当然のことですが,私は,最高裁判決だから良いというスタンスでは講義をしていません。最高裁が何を言ったかということを知っておくことはもちろん必要ですが,それをそのまま暗記しても意味がないと言っています。一般的に,学生はどうしても,判例を知識として覚えてそれで終わりとしてしまいがちですが,それでは意味がありません。パナソニックプラズマディスプレイ事件で,どうして高裁判決のような解釈が出てきたのかについての想像力と理解が必要であり,そのうえで批判的な精神をもってもらいたいのです。最高裁判決だって,突っ込みどころはたくさんありますが,高裁判決と照らして合わせると,最高裁が何が言いたかったかが浮かび上がるわけで,そこを理解することも大切です。
 授業では,高裁判決を正しいと思うこともあってよいと言いました。これは意思解釈の方法論と関わるもので,しかもそれは本人の価値観と結びついているので,将来の自分の法曹としてのスタンスいかんでは,高裁判決のような立場でもよいのではないかと思ったからです。
 LSの前期講義もあと3回になりましたが,派遣関係には力を入れています。これまでは労働法の講義では派遣はマージナルな存在でしたが,現実の重要性を考えると,たっぷり時間をかける価値があると思っています。『ケースブック労働法(第6版)』(弘文堂)でも1章を割いていますしね。

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2011年7月 5日 (火)

新大久保

 新大久保というと,いかがわしい場所というイメージがあったのですが,いまはおしゃれなコリアンタウンに生まれかわっています。この前,ちょっと昼に寄ってみたのですが,若い女の子がたくさんいて華やかに賑わっていました。韓流ブームからなのでしょうか,街が一新していました。東京に住んでいたときから,これまで一度も新大久保で降りた経験がなかったので,以前との比較はできないのですが。文化的には韓国ファンがこれだけいるのですが,これが日韓のいろいろな摩擦の解消に結びついていくのでしょうかね。 
 ところで,新大久保で韓国料理を食べてみたのですが,これはダメでした。もともとアジア料理は口にあわないのですが,さらに韓国料理の定番のキムチも好きじゃないし,辛いのがダメなのです。私はうどんやそばにも七味をかけませんし,徹底的に薄味好みなので,口の中がホットになるのは身体が受け付けないのです。石焼きビビンバはそれなりによく,チゲも食べれたのですが,尾籠な話で恐縮ですが,その後,お腹を壊してしまいました。唐辛子がいけないようです。ちょっとトラウマになりそうです。これからは,普通の焼肉にしておくします。でも一回だけの経験で評価をしてはよくないので,今度はきちんと情報を入手して,ちょっと高級な韓国料理にチャレンジしてみたいと思います。韓国料理は健康によいと言われているので,捨てがたいものがあるので。

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2011年7月 4日 (月)

背教者ユリアヌス(続)

 辻邦生の本では,ユリアヌス側の観点からみた小説でしたが,塩野七生の『ローマ人の物語39』(新潮文庫)では,もう少し客観的に,ユリアヌスがもう少し凡庸な人物として描かれています。アンティオキアの住民からの支持を得なかったことに,ユリアヌスは腹を立てているのですが,それはユリアヌスが現実を離れた理想を求める立場から統治をしようとしたもので,支配者としては失格であるという烙印が押されています。キリスト教徒との接し方も,戦略が不十分であったという評価です。
 しかし,塩野七生は最後にユリアヌスを評価し直して,次のように述べています。「宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは,古代ではおそらく唯一人,一神教のもたらす弊害に気づいた人ではなかったか,と思う。……多神教の世界であった古代で唯一の一神教はユダヤ教だが,選民思想をもつユダヤ教徒は,自分たちの信仰に他者を引きずりこむ考えからして持っていなかった。この古代にあってキリスト教だけが,異なる考えを持つ人々への布教を重要視してきた宗教なのである……。ユリアヌスに投げつけられ,今なおこの通称でつづいている「背教者」という蔑称は,実に深い意味のこもった通称とさえ思えてくる。もしかしたら,三十一歳で死んだこの反逆者に与えられた,最も輝かしい贈り名であるのかもしれない」。
 キリスト教の世界を支配する宗教に成ろうとする最初の頃の話はとても面白いものです。私たちにとって一神教の理解が難しいこととともに,キリスト教がユダヤ教と違い,布教を重視したことが,その後の世界に大きな影響(ある意味では負の影響)を及ぼしたのではないか,ということは実に興味深いところです。私は,いま併行して別の本を読んでいて,その後にこのブログでも紹介しますが,まずは,この塩野七生のユリアヌスの評価はとても説得力があると思いますね。
 ところで,話は全く変わり,この本は新潮社から出ているのですが,新潮社の書籍が電子書籍化していくということが新聞で出ていました。拙著の新潮新書『どこまでやったらクビになるか』も電子化されるそうです。自分の本の電子化は初めてなので,どんな感じになるのか想像もつきませんが,今後は専門書の電子化も試してみたいですね。

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2011年7月 3日 (日)

先日の労働法ゼミ

 テーマは女性労働です。男女雇用機会均等法が25歳となり,世間には定着したものとなっていますが,女性労働の問題について,どのように考えていくべきかを自由に議論しました。私のゼミですから,ジェンダー論などはやらず,男性陣も本音トークでしたが,男子学生のなかには私も驚くほど保守的な発想の者もいました。ある代表的な意見は,男女雇用機会均等法は行くところまで行ったのであるし,ワーク・ライフ・バランスは企業ごとの判断に任せればよいのであって,政府のこれ以上の介入は不要というものでした。もっとも,学生たちがワーク・ライフ・バランスに共感していないわけではなく,その必要性を感じながら,でもそれは企業が判断してやっていけばよく,労働者がその企業のワーク・ライフ・バランス度をみて選択できればよいということです。ただ,その点に関する情報開示がもっとあればよいという意見もありました。また,子供の保育施設の整備は,もう少し政府が何とかする必要があるのでは,という意見が多かったです。
 情報開示という点では,コース別雇用制は,企業がどのような人材を求めているかについてコースの内容を提示することにより学生にわからせるという点で学生側にとってもよく,もちろん企業にとっても,労働者の勤労意欲を知ることができるという点でメリットがあり,ミスマッチを防ぐのに効果があるということで肯定的な評価でした。最近では,コースが多様化して,5つくらいのコースが設定されているところもあり,選択肢が多くなって労働者にとってよいという意見もありましたが,ある男子学生は,普通の男性はバリバリ働く総合職のコースしか実際には選択できないという事実上の圧力があり,その点は女性のほうが自由でいい,という本音をもらしていました。
 一般職という受け皿があるから,女性労働者はそこに吸い寄せられていくのであり,そこには男性中心社会において女性を一般職に閉じこめようとする「陰謀」があるのでは,というようなジェンダー論っぽい意見も投げかけてみたのですが,学生はあまり反応しませんでした。一般職という選択肢があることは女性にとって良いことだという考え方には,根強い支持がありますね。

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2011年7月 2日 (土)

講演(福岡)

 先日,福岡県社会保険労務士会の能力向上研修会というものに呼ばれて,「最新重要判例のポイントの解説」というテーマで講演をしてきました。関係者の方々,どうもご苦労様でした。良い雰囲気で,とてもやりやすかったです。また,福岡に招待していただいたことにも感謝しています。私は福岡はかなり気に入っている町なのです。聴衆の方も熱心に聴いていただきありがとうございました。200名以上の社会保険労務士の方の熱意がこちらにもひしひしと伝わってきて,私も力が入りました。
 講演では,4つの裁判例を取り上げました。1つめは,このブログでも紹介した協愛事件を素材に,就業規則による労働条件の不利益変更について,合意原則との関係などを,かなり詳しく解説しました。積極的合意原則に対する懐疑というオーソドックスな労働法学のスタンスが,労契法9条の反対解釈による合意による労働条件の変更を否定するというところまでいくと問題ではあるが,労働者の同意の認定を厳しくするということはありうるというようなことを,裁判例を素材に説明しました。
 二つ目は,労働者性についての判断です。個人事業者の労働者性というのは,実務上も重要な問題であろうと思い,取り上げました。労基法上の労働者性,さらに労組法上の労働者性についての説明をしたうえで,最近の最高裁の二判決(新国立劇場運営財団事件,INAXメンテナンス事件)の検討を行いました。
 最初の二つのテーマで時間の多くを使い,残りの二つは駆け足となりました。
 三つ目は,障害者の過労死の労災認定に関するマツヤデンキ事件です。控訴審判決を素材として,業務の過重性に関する本人基準説の適否について解説をしました。四つ目は,東京地裁の懲戒処分についての判断を素材とし,懲戒処分の有効性は,どのように判断されるべきかという点について解説をしました。
 最初の二つのテーマはかなり理論的な面にも掘り下げて話しました。社労士さんの今後のお仕事に何か少しでも役に立つことができていれば嬉しいのですが。

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2011年7月 1日 (金)

シャラポワ

 10代のときの妖精のような可憐さはありませんが,綺麗な24歳のシャラポワでした。ウインブルドンの準決勝のレシツキ戦をテレビで観てしまいました。久しぶりのシャラポワの試合でしたが,その雄叫びにはびっくりしました。女性に雄叫びというのも変ですが,初めはちょっと異様な感じでした。あんなに叫ばれると,相手も最初は驚くのではないでしょうか。赤児なら泣いてしまいそうです。ただ,ずっと聞いているうちに,ある種のエロチシズムも感じてしまいました。
 それはともかく,シャラポワは強かったです。とにかくサーブがダメで,何度もダブルフォールトしながらも,最後まで崩れず,安定感抜群のストロークに持ち込んで挽回していました。この人の精神力は,ものすごく強いんだろうなと思いました。気持ちの切り替えが早いのでしょうかね。さすがに一流の選手は違います。最後は,今大会勢いのあったレシツキをねじふせ,地力の差を見せつけたような気がしました。2004年以来の2回目の優勝のチャンスですね。
 男子のテニスは,高速サーブで決まるような試合が多くて面白くないのですが,女子はストローク戦などが結構あって面白いです。ビーナス姉妹が強かったときは面白くなかったです。もともとは,クリス・エバート・ロイドやシュテフィ・グラフが好きで(ナブラチロワは嫌いでした),ラリーが続く試合をしてくれる選手がいいですね。
 ところで,久しぶりに試合を見ていて,チャレンジという制度があるのに驚きました。いつからあるのでしょうか。選手が,審判の判定にクレームをつけるのですが,そのときにビデオ判定で決めるというものです。チャレンジには回数制限があり,濫用の防止にも配慮されています。なかなか良い制度だなと思いましたね。プロ野球も,ホームランだけでなく,落球の判定にもビデオを使ってほしいですね。

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